紀元前1世紀。 カエサルとローマの一人者の地位をめぐって争った最強のライバルはポンペイウスだった。 三頭政治の2つの軸をなした2人は結局、内戦で正面対決に入った。 敗走したポンペイウスを追いかけてエジプトまで行ったカエサルは、ポンペイウスが悲惨に殺害されたことを知り、加担した者をすべて処断してしまう。 いわばライバルに対する最後の礼儀だ。
歴史を飾ったライバルは、相手による脅威が消えた瞬間、時に一生をともに歩んだ友人のような紐帯感を見せたりする。 英国女王のエリザベス1世は在位初期、いとこにあたるスコットランド女王メアリーのために王位を脅かされ続けた。 エリザベスが結局メアリーを処刑すると、スペインのフェリペ2世はこれを口実に無敵艦隊を動員し、英国を攻撃したりもした。
にもかかわらずエリザベス1世は自分の後継者として敢えてメアリーの息子ジェームスを指名した。 メアリーに対する精神的な補償も作用したと推測される。 もちろんすべてのライバル関係が美しく終わるわけではない。 中国・戦国時代のホウ涓は最高の戦略家の地位を占めるために孫ピンの脚を切り、復しゅうに乗り出した孫ピンに敗れたホウ涓は最後まで「このように若い奴が名声を得ていくのか」(終於成就了這小子的名声)と憤慨して息を引き取った。
19世紀に大英帝国の全盛期を率いた保守党のディズレーリと自由党のグラッドストンにも最後の和解というものはなかった。 1881年4月、ディズレーリが生死の境をさまよった時、グラッドストンは見舞いに一度も行かなかった。 ビクトリア女王の勧めにもグラッドストンは「行っても話すことはない」と言って拒否した。 ディズレーリが国葬を断って個人の葬儀を選んだことについても、グラッドストンは「謙遜する姿を見せようとショーをした」と皮肉った。
ディズレーリが死去した翌月、グラッドストンは議会で頌徳文を朗読することになっていた。 やむを得ず短い頌徳文を読んだグラッドストンは「生涯これほどつらいことは初めてだ」と不平を言ったと伝えられている。
これに比べると大韓民国1人者の地位をめぐって一進一退しながら生涯競争した金泳三(キム・ヨンサム)と金大中(キム・デジュン)の最後の和解ムードははるかに温かい風景だ。 もちろん2人の真の協力が20年、30年前にあったなら大韓民国の歴史が変わっていただろうが、敢えてこれをただすにも非常に長い歳月が流れた。 とにかくこのようにして‘九段たちの時代’が終わる姿だ。
歴史を飾ったライバルは、相手による脅威が消えた瞬間、時に一生をともに歩んだ友人のような紐帯感を見せたりする。 英国女王のエリザベス1世は在位初期、いとこにあたるスコットランド女王メアリーのために王位を脅かされ続けた。 エリザベスが結局メアリーを処刑すると、スペインのフェリペ2世はこれを口実に無敵艦隊を動員し、英国を攻撃したりもした。
にもかかわらずエリザベス1世は自分の後継者として敢えてメアリーの息子ジェームスを指名した。 メアリーに対する精神的な補償も作用したと推測される。 もちろんすべてのライバル関係が美しく終わるわけではない。 中国・戦国時代のホウ涓は最高の戦略家の地位を占めるために孫ピンの脚を切り、復しゅうに乗り出した孫ピンに敗れたホウ涓は最後まで「このように若い奴が名声を得ていくのか」(終於成就了這小子的名声)と憤慨して息を引き取った。
19世紀に大英帝国の全盛期を率いた保守党のディズレーリと自由党のグラッドストンにも最後の和解というものはなかった。 1881年4月、ディズレーリが生死の境をさまよった時、グラッドストンは見舞いに一度も行かなかった。 ビクトリア女王の勧めにもグラッドストンは「行っても話すことはない」と言って拒否した。 ディズレーリが国葬を断って個人の葬儀を選んだことについても、グラッドストンは「謙遜する姿を見せようとショーをした」と皮肉った。
ディズレーリが死去した翌月、グラッドストンは議会で頌徳文を朗読することになっていた。 やむを得ず短い頌徳文を読んだグラッドストンは「生涯これほどつらいことは初めてだ」と不平を言ったと伝えられている。
これに比べると大韓民国1人者の地位をめぐって一進一退しながら生涯競争した金泳三(キム・ヨンサム)と金大中(キム・デジュン)の最後の和解ムードははるかに温かい風景だ。 もちろん2人の真の協力が20年、30年前にあったなら大韓民国の歴史が変わっていただろうが、敢えてこれをただすにも非常に長い歳月が流れた。 とにかくこのようにして‘九段たちの時代’が終わる姿だ。
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