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金大中元大統領の日記の一部を公開

 

 故金大中(キム・デジュン)元大統領が生涯の最後の日々を記録した日記が21日に公開された。 遺族は金元大統領が1月1日から6月4日まで書いた100日分の日記うち30日分を40ページ分量の小冊子にして配布した。

日記には李姫鎬(イ・ヒホ)夫人と家族に対する愛情がそのまま込められている。 些細な日常のことについても書いている。


「最近、妻との仲は結婚以来最高によい。 2人とも健康に長生きするよう毎日神に祈っている」(1月11日)

「孫に私の人生について話し、隣人愛が信頼と人生の核心であることを強調した」(5月30日)

1月1日の日記には、10時間にわたり新年のあいさつを受けた後、疲労を訴えながら、「新年は何よりも健康管理に力を注がなければいけない」と書いていた。

誕生日の1月6日には「民主主義のために命を捧げて闘争した人生だったし、経済を回生させて南北和解の道を開く渾身の努力を注いだ人生だった」とし「生きてきた道に不十分な点はあるが、後悔はない」と生涯を振り返った。

15日には「拉致、死刑宣告、投獄、監視、盗聴など数多くの迫害の中でも歴史と国民を信じて生きてきた」とし 「人生、どれだけ長く生きるかは問題でない。 どれだけ意味があり価値のある生き方をしたかが問題だ」(1月14日)という一節もあった。

現政権に対する批判もあった。 竜山(ヨンサン)惨事について「非常に野蛮なやり方だ。 この寒い冬に追い出される貧民の境遇が涙ぐましい」と書いていた。 盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領の逝去に関しては「盧元大統領の自殺は強要されたも同然だ」と書いた。 遺族が盧前大統領の葬儀について「家族葬」を望んだことに関し、「朴智元(パク・ジウォン)議員を送って『盧大統領は国民のために生きてきて、国民は彼を愛して大統領までさせた。 したがって国民が望むように国民葬にするのがよい』と伝えたが、側近がこの論理で家族を説得したと聞いた」(5月24日)と書いた。 告別式に出席した29日には「今後も政府が強圧一辺倒でいけば事変は免れないだろう」と記した。

2月4日には、「金元大統領不正資金疑惑」について検察が「金元大統領は関係がない」と発表すると、「あまりにも長い歳月にわたり‘容共’‘不正資金隠匿’というので、今度は法的審判受ける」と書いていた。

北朝鮮が2度目の核実験(5月25日)を実施した日も日記を書いた。 金元大統領は「核実験は絶対容認してはならない」としながらも「北の期待とは違い(オバマ政権が)対北朝鮮政策発表をずるずると引き延ばした。 こうした未熟さが、米国の関心を引こうとする核実験を強行させたようだ」と憂慮を表した。

6月2日の日記には「71年の国会議員選挙当時、朴政権の殺害陰謀でトラックにひかれ負傷した脚の関節に不便を感じ、キム・ソンユン博士から治療を受けた」という文を残した。

金元大統領の日記は6月4日で終わっている。 目の焦点が合わず、文を書くのが難しくなったためだ。 金元大統領は5月20日の日記では「歩行がまた難しくなった」「家の中でも車椅子に乗るときがある」と苦痛を吐露した。 この頃、金元大統領は秘書陣に録音機を買わせるほど記録に対する意志が強かった。 しかし録音機には「あ、あ、マイクのテスト」という言葉だけが残っていたという。

チェ・キョンファン秘書官は非公開の部分について「あまりにも私的であったり、国民統合の契機になるべき国葬の雰囲気を害しうる内容」と述べた。

日記の公開に対しハンナラ党は国葬の雰囲気を勘案して激しい発言を自制しながらも、批判的な表情は歴然だった。

与党の関係者は「国民統合のために反対にもかかわらず国葬をする状況の中で、葛藤につながりうる内容を公開するのは納得しがたい」と述べた。

別の関係者は「悔しさでいえば盧武鉉前大統領のほうがはるかに大きいはずだが、盧前大統領が残したメッセージは‘恨むな、運命だ’という内容だけだった」とし「あえて政治的な部分まで公開するのは金元大統領の意図にも合わないはずだ」と述べた。



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