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金大中氏に最後のインタビューをした太刀川正樹氏(1)



09年6月1日、日本・東京。 日刊ゲンダイの太刀川正樹記者に一本の電話が入った。 韓国からの電話だった。 「明日(2日)午後2時、東橋洞(トンギョドン)に来てください」

太刀川氏は2日午前、韓国行きの飛行機に乗った。 金浦(キンポ)空港に到着した太刀川氏は直ちに金大中(キム・デジュン)元大統領がいる東橋洞へ向かった。 1階の接見室で5分待った。 金大中氏は秘書官に支えられながら2階から下りてきた。


金大中氏は「太刀川氏、お久しぶりです。 あなたに会うと昔のことを思い出す」と言いながら手を握った。 太刀川氏はまず、呼吸が困難に見える金大中氏に「体の調子はどうですか」と尋ねた。

金大中氏は「大丈夫。 大統領在任中は一度も会えず申し訳なかった」と話した。 それから70日が過ぎた18日、金大中氏は永遠の眠りについた。 太刀川氏は金大中氏に最後のインタビューした海外記者となった。

◇「神様、私は生きたい」

太刀川氏は「金大中元大統領がインタビューで、1973年8月の拉致事件と韓国政治の過去について詳しく説明してくれた」と述べた。太刀川氏は「東京での拉致事件について話している時は、あたかも演壇で演説をするような姿だった」と伝えた。 当時の拉致事件現場を取材した太刀川氏は「金元大統領に拉致事件に関する質問をしなかったが話してくれた」と語った。

金大中氏が明らかにした内容は以下の通りだ。 「目隠しされて、自分の足は大きな石と一緒に縛られていた。彼らは私を岩の上に落とそうとした。それで私は神様に祈った。‘神様、私は生きたい、生きたい’と必死に祈った。その言葉が終えると、空からヘリコプターの音が聞こえた。助かったと思った。そして目隠しされたまま船に乗って釜山(プサン)まで来て、奇跡的に助かった。その時に私を解放した人の言葉をはっきりと覚えている。『私は釜山の者です。必ず生きて帰ってきてください』」



金大中氏に最後のインタビューをした太刀川正樹氏(2)

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