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【その時の今日】侵略戦争参加督励した李光洙「民族のため親日」弁解



「今世界は優勝劣敗、弱肉強食、優れたものは勝ち、劣るものは負け、弱い奴の肉を強い奴が食う生存競争の時代だ。教育と産業で民族の実力を育てようということだった」--。

1905年1月、日本に留学した小説家で思想家の李光洙(イ・クァンス、1892-1950、写真)は日本人が闊歩(かっぽ)するこの地を見て、民族の力を育てねばならないという認識を固めた。


「国家の生命と私の命はその運命を共にするとのことに気付いた。私は名ばかりではあるものの、極端なクリスチャンで、大同主義者であり、ニヒリストで、本能満足主義者であり、ついに愛国主義に停泊した」。

留学時代に多様な知的思潮に影響されたが、同氏の人生を常に貫いたのは民族や未来に来る国家であった。21年に同氏は興士団(フンサダン 独立運動家・安昌浩が米サンフランシスコで創立した民族運動団体)運動を展開しろという安昌浩(アン・チャンホ)の指令によって、この地に帰ってきた。

22年に出版した「民族改造論」も同氏の筆で書かれた安昌浩の著作だった。安昌浩が逝去した38年以降、同氏は「民族のための親日」を説破する論客を自任した。「徴用では生産技術を学び、徴兵では軍事訓練を学ぶ。産業訓練と軍事訓練を受けた同胞が多ければ多いほど、韓民族の実力は大きくなる」とし、朝鮮(チョソン、1392-1910年)の人が帝国の成長に貢献しただけ補償を受けると確信した。

太平洋戦争の最中だった42年には「あなたが血を流した後も、日本が韓民族に良いものを渡さなければ、己が血を流し戦う」とし、朝鮮の青年に侵略戦争に加わるよう訴えた。写真はその時代の同氏の姿を収めている。

解放後に反民族行為特別調査委員会(植民支配時代の親日派を処罰するため制憲国会に設けられた特別機関)の尋問で「私は民族のために親日となった。私が歩んできた道が正経大路ではないものの、そうした道を歩き、民族のためのこともあるとの点をわかってほしい」と所信を変えない確信犯だった。

「父は日本の帝国主義による植民支配時代には日本人に振り回され、韓国では反民法(反民族行為処罰法=植民支配時代に日本に協力し、反民族的行為を行った者を処罰するため制定した法律)で逮捕され、共産党は反動だとして連行した」。娘のイ・ジョンファの訴えが物語るように、同氏は民族を掲げる側の目には「反民族的な親日派」に、民衆を重視する側の目には「反民衆的なブルジョア」に思われただけだった。

しかし日本の共産主義者の74%が転向するほど、誰もがファシズムに支配された時代の狂気から自由になれなかった。だから民族や民衆の名の下、同氏を断罪するよりは「民族のための親日」というロジックの構造を一つひとつ探り、いまだ韓国内に息づくファシズムの暗い影を消すことに力を与えることが、多元化した市民社会を生きる我々が解くべき課題ではなかろうか。



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