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【コラム】北朝鮮の奇跡

 「バルト3国の奇跡」を知っているだろうか。 ラトビア・リトアニア・エストニアの3国が1940年、ソビエト連邦加入問題をめぐり国民投票を行った。 ところが驚いたことに結果は投票の前日に発表された。 ソ連国営タス通信があらかじめ作成しておいた記事を誤って出したのが、奇跡のように投票の結果と一致した。 もちろん結果は「賛成」。独立国の地位をあきらめてソ連の一員になるという意思表明だった。 まさに「全人民の偉大な指導者」であるスターリンだからこそ起こせるような奇跡だった。 「同志スターリン」の奇跡はこれで終わらなかった。 1947年の最高ソビエト選挙でスターリンは140%の得票を記録した。 少し気まずかったのか翌日に選挙当局が釈明を出したが、スターリンに対する熱烈な支持を表明するため隣の選挙区の有権者が投票に参加したためということだった。

その翌年に樹立された北朝鮮政権はこうした奇跡づくりから受け入れ始めた。 奇跡を起こせなければ国家指導者の資格がなかった。 14歳の時に「打倒帝国主義同盟」を作り、18歳の時にすでに主体思想を創始し、朝鮮革命の道を明らかにした金日成(キム・イルソン)だけがその任務を引き受けられるのは当然の帰結だった。 解放前の1930年に主体の志を抱いたのは凡人にとって想像もできない奇跡にほかならなかった。

「偉大な革命家系」金日成家門の血は欺かなかった。 2世の金正日(キム・ジョンイル)は誕生から普通でなかった。 金日成が抗日パルチザン活動をしていた1942年、白頭山(ぺクドゥサン)の密林の野営地で金正日は生まれた。 金日成が1940年にソ連に渡って88特殊旅団で服務し、解放後の1945年9月に平壌(ピョンヤン)に帰ってきたというのはよく知られている歴史的事実だ。 にもかかわらず金正日が白頭山で聖山の精気を受けて生まれたというのだから、こんな奇跡がどこにあろうか。


北朝鮮では金日成家門のほかに抗日闘争をした人がほとんどいない。 安昌浩(アン・チャンホ)・申采浩(シン・チェホ)などの独立運動家も「外勢を背に負う事大主義者」にすぎない。 金日成と夫人の金貞淑(キム・ジョンスク)、金正日の3人だけが「白頭山の3大将軍」であり、金日成の父母の金亨稷(キム・ヒョンジク)と姜盤石(カン・バンソク)、そして叔父らだけが「不撓不屈の革命闘士」だ。 ソ連の赤い軍隊ではなく金日成一家が北朝鮮を解放させたのだ。 実に偉大な奇跡だ。

したがって金日成が死んだ時、白鶴の群れが彼の銅像の上を飛びながら悲しんだというのも驚くことではなく、金正日が権力を譲り受けたのも当然の結果だ。 板門店(パンムンジョム)訪問時、南側の狙撃を妨げるため天が距離を測れないよう霧をかけ、哨所の軍人の前に近づくとそれが一掃されて明るい陽光が‘雄壮な姿’を照らしたという金正日を除いて、誰がその仕事を担うのか。

それに比べると3世の奇跡はまだ弱いほうだ。 クリントンに太平洋を渡らせて将軍様に謝罪させた「金正雲(キム・ジョンウン)大将の知略」とワールドカップ(W杯)本大会進出の快挙を成し遂げた「細心な指導と配慮」程度だ。 しかし虎は犬を産まない。 「白頭の血統を受け継いだ金大将」の奇跡が近いうちに繰り広げられるのは明らかだ。 「3年以内に住宅10万戸建設」のような豪語はそれを予告する小さな奇跡にすぎない。

共産主義の奇跡は暴力が生む。 その力が強いほど大きな奇跡をつくる。 それを証明したのがフルシチョフだ。 彼が前任者のスターリンの犯罪像を批判する演説をする時、誰かが叫んだ。 「生きている時は何も言えず、今になって非難して恥ずかしくないのか」。フルシチョフは怒りの表情で「誰だ」と怒鳴った。 一瞬、場内は凍りつき、誰も出てこなかった。 するとフルシチョフは笑って話した。 「もうお分かりですか、私がスターリンを防げなかった理由を」。

数百万人が飢えて死亡し、監獄にも劣る北側の地を社会主義の人民の楽園だと信じさせる北朝鮮の奇跡もこのような暴力から出てくる。 それを知らないはずがないのに、北朝鮮の主張をオウムのように繰り返す従北勢力が韓国の地に存在することも信じ難い北朝鮮の奇跡だ。



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