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林昌勇(イム・チャンヨン、33)がシーズン中、電撃的にヤクルト残留を宣言したのは義理のためだった。 毎年のように進路問題で騒がしかった以前とは違う。
日本・東京で会った林昌勇は「義理」を語った。 先月7日、林昌勇は日本の記者らの前で「来年まではヤクルトに残る。 その後に他のチームを行くか、メジャーに挑戦する考え」と宣言した。 シーズン中にこういう内容の話をするのは非常に珍しいことだ。 林昌勇の話を聞くと、その理由が十分に理解できた。
▽「2+1年」契約の裏面?
林昌勇は「当時は本当に野球ができない状況だった」と打ち明けた。 少しでもコネがあるメジャーリーグ関係者が黙っていなかった。 ヤクルトの試合の度にスピードガンを持って集まり、話をする席を設けようという要請もあった。
林昌勇が7月初めまで無失点を続け、日本最高の抑え投手に浮上すると、当然のように市場価値が暴騰した。 もちろん自分の株価が上がることに悪い気はしない。 しかしその程度が激しかったようだ。 米国進出を支援するという多くのエージェントが殺到した。 さらには日本のあるメディアが「林昌勇が米国進出のために代理人を探している」という記事まで載せ、さらに複雑になった。
林昌勇は昨年初め、ヤクルトと「2+1年」契約をした。 今年までは必ずヤクルトでプレーする期間だ。 来年は球団のオプションだ。 しかし林昌勇は「自分にも選択権はあった」と初めて明らかにした。 再契約の決定は球団にあるが、条件の開きが大きかったり不当であれば選手にも拒否できる最小限の装置はある、という意味だ。
このためメジャー球団は交渉によってはシーズン後に林昌勇をヤクルトから獲得できると考えた。 しかし林昌勇が自ら釘を刺したのだ。
▽「林昌勇師団」と一緒に
林昌勇は「ヤクルトは自分が苦しかった時期に信頼してくれたチーム。 自分がよくなったからと言って契約を揺さぶりたくはなかった」と語った。 基本年俸30万ドルという契約だったが、ひじの手術を受け、成績も出せていない自分を獲ってくれたことに報いたいという意味だった。
林昌勇は「実際、以前は少し騒がしくなっていたが、今はもうそうなりたくない。 一つのチャンネルを通して交渉し契約する」と強調した。 林昌勇は三星(サムスン)ライオンズで海外進出資格を取得した02年以降、毎年オフになると周囲が騒がしくなった。 米国や日本からエージェントを名乗る人たちが近づいてきたからだ。
林昌勇は「今後は米国に行くにしても日本に残るにしても、パク・ユヒョン氏(現代理人)と一緒にする」と語った。 エージェントだけでない。 林昌勇はヤクルト球団内で「師団」に相当するグループを作っているが、彼らのためにも契約期間中に一人で去ることはできないのだ。
李恵践(イ・ヘチョン)がパク・ユヒョン氏を通じてヤクルトに入団し、林昌勇が最も好きな先輩である朴石鎮(パク・ソクジン、元ロッテ)はヤクルトでコーチ研修中だ。 「林昌勇師団」との義理が彼を引き止めているのだ。
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