金大中(キム・デジュン)元大統領の体の状態が良くない。 一時は危篤状態で、葬儀の手続きまでも政府と話し合われたという。 金元大統領に対する評価はさまざまだが、彼が大物であることは間違いない。 統一に対する金元大統領の接近法は紛乱の種になったが、新しい道を模索したことは記憶されるだろう。 誰でも死を控えれば人は寛大になる。 この世は死ですべてのことが終わるからだ。 私たちの場合、不名誉に終わってしまった大統領が多かったため、名誉ある大統領に対する所望は切実だ。 金元大統領の民主化闘争とノーベル平和賞受賞は国際的にも名声を得た。 こうした功労はほとんどの人が認めている。 しかし一つ質すべき問題が残っている。
ある人物の過去を振り返る場合、特に金元大統領が政治家なら、2つの点に留意しなければならない。 一つ目は、いかなる噂であっても必ず潔白であるという前提、別の言い方をすれば無罪推定原則に忠実でなければならない。 なぜなら噂が公式化されれば、それ自体が名誉に致命的な傷になるからだ。 二つ目は、政治的に利用されてはならないという点だ。 政治的な目的が介入すれば、事実自体が歪曲されたり拡大されたりする可能性が高いからだ。 南アフリカの過去史委員会もこうした原則を守った。 私自身もその原則に同感している。
金元大統領の場合は不正資金と財産の海外逃避疑惑が絶えず提起された。 これは単純に噂のレベルではなく、メディアを通じて何度も公式的に提起された問題だ。 「米FBI、金大中大統領の不正資金の米国不法流入容疑調査に着手」(「月刊朝鮮」06年9月号)、「01年に国内金融機関を通して資金3000億ウォンを造成」(「月刊朝鮮」07年1月号)、「自由守護国民運動、金大中捜査要求署名運動を展開」などのほか、最近では「崔淳永元新東亜グループ会長インタビュー」(月刊朝鮮09年3月号)で「彼らは飢えた狼のように20兆ウォンの会社に食いついた」と証言した。 私たちは検察が特定懸案に介入した例を数多く見てきた。 この事件の場合のおかしな点は、これほど多くの疑惑提起にもかかわらず、検察はもちろん当事者側からも反応が一切ないという点だ。 検察だけでない。 主流メディアでもこの問題は提起されなかった。
検察が起訴独占主義を前面に出して問題を事件化しなければ事件にならないのか。主流メディアがイッシュー化しなければ問題にならないのか。まさにこういうものが社会構造的な問題だ。 ある問題は必ずイッシュー化されなければならないが、イッシュー化されずに済まされる。 ある問題は何も決定されていないにもかかわらず、当然決定されたものとして受け入れられる。 このような無イッシュー(Non issue)、無決定(Non decision)を当然なものと考える社会は健全な社会ではない。
いくつかの類推は可能だ。 不確実なことで名誉が損なわれることを防ぐためだ。 または爆発的な事案であるため誰も敢えて手をつけないのかもしれない。 政権レベルもそうであり、主流メディアもそうだ。 もしかすると法が接近できない聖域があるのかもしれない。 金元大統領は最近、現実政治についていくつかのコメントをした。 「李明博(イ・ミョンバク)政府は独裁政権だ。独裁に抵抗するために行動しなければならない」などと、元大統領としては一線を越えた発言を頻繁にしてきた。 私はこうした発言を聞きながら、もしかすると金元大統領が心の中に何か不安感を抱いているのではないかと感じた。 不安な気持ちは常に過敏かつ過大な反応として表れるからだ。 ある人が肥満なら、人の前では食べなくても、見えないところで過食していると考える。 その人がいくらダイエットをしたと主張しても信じがたい。 まして具体的な事情があって提起されたことが、なぜ今まで埋もれているのか理解できない。 私たちの社会の健康のためにも望ましくない。
しかし今はあまりにも遅すぎる。 生死の境をさまよう当事者にこれを明らかにしろと要求するのは過酷だ。 短い時間で明らかになる問題でもない。 実際に私たちは数カ月前、一人の大統領を不名誉に送った。 国の名誉のためにもこれ以上不幸な大統領があってはならない。 だからといって提起された疑惑をそのまま伏せてしまうのか。 まさにこれが残念な点だ。 元大統領であるだけに葬儀の格も考えなければならない。 こうした点で国民全員が納得する解決点が摸索されなければならない。 この問題はいまや全的に家族の手にかかっている。 金元大統領が成し遂げた業績に匹敵するほどのクリーンな最後がなければならない。 金元大統領が常に話していた「正義が川の水のように流れる国」のために。
【ニュース特集】金大中元大統領逝去
ある人物の過去を振り返る場合、特に金元大統領が政治家なら、2つの点に留意しなければならない。 一つ目は、いかなる噂であっても必ず潔白であるという前提、別の言い方をすれば無罪推定原則に忠実でなければならない。 なぜなら噂が公式化されれば、それ自体が名誉に致命的な傷になるからだ。 二つ目は、政治的に利用されてはならないという点だ。 政治的な目的が介入すれば、事実自体が歪曲されたり拡大されたりする可能性が高いからだ。 南アフリカの過去史委員会もこうした原則を守った。 私自身もその原則に同感している。
金元大統領の場合は不正資金と財産の海外逃避疑惑が絶えず提起された。 これは単純に噂のレベルではなく、メディアを通じて何度も公式的に提起された問題だ。 「米FBI、金大中大統領の不正資金の米国不法流入容疑調査に着手」(「月刊朝鮮」06年9月号)、「01年に国内金融機関を通して資金3000億ウォンを造成」(「月刊朝鮮」07年1月号)、「自由守護国民運動、金大中捜査要求署名運動を展開」などのほか、最近では「崔淳永元新東亜グループ会長インタビュー」(月刊朝鮮09年3月号)で「彼らは飢えた狼のように20兆ウォンの会社に食いついた」と証言した。 私たちは検察が特定懸案に介入した例を数多く見てきた。 この事件の場合のおかしな点は、これほど多くの疑惑提起にもかかわらず、検察はもちろん当事者側からも反応が一切ないという点だ。 検察だけでない。 主流メディアでもこの問題は提起されなかった。
検察が起訴独占主義を前面に出して問題を事件化しなければ事件にならないのか。主流メディアがイッシュー化しなければ問題にならないのか。まさにこういうものが社会構造的な問題だ。 ある問題は必ずイッシュー化されなければならないが、イッシュー化されずに済まされる。 ある問題は何も決定されていないにもかかわらず、当然決定されたものとして受け入れられる。 このような無イッシュー(Non issue)、無決定(Non decision)を当然なものと考える社会は健全な社会ではない。
いくつかの類推は可能だ。 不確実なことで名誉が損なわれることを防ぐためだ。 または爆発的な事案であるため誰も敢えて手をつけないのかもしれない。 政権レベルもそうであり、主流メディアもそうだ。 もしかすると法が接近できない聖域があるのかもしれない。 金元大統領は最近、現実政治についていくつかのコメントをした。 「李明博(イ・ミョンバク)政府は独裁政権だ。独裁に抵抗するために行動しなければならない」などと、元大統領としては一線を越えた発言を頻繁にしてきた。 私はこうした発言を聞きながら、もしかすると金元大統領が心の中に何か不安感を抱いているのではないかと感じた。 不安な気持ちは常に過敏かつ過大な反応として表れるからだ。 ある人が肥満なら、人の前では食べなくても、見えないところで過食していると考える。 その人がいくらダイエットをしたと主張しても信じがたい。 まして具体的な事情があって提起されたことが、なぜ今まで埋もれているのか理解できない。 私たちの社会の健康のためにも望ましくない。
しかし今はあまりにも遅すぎる。 生死の境をさまよう当事者にこれを明らかにしろと要求するのは過酷だ。 短い時間で明らかになる問題でもない。 実際に私たちは数カ月前、一人の大統領を不名誉に送った。 国の名誉のためにもこれ以上不幸な大統領があってはならない。 だからといって提起された疑惑をそのまま伏せてしまうのか。 まさにこれが残念な点だ。 元大統領であるだけに葬儀の格も考えなければならない。 こうした点で国民全員が納得する解決点が摸索されなければならない。 この問題はいまや全的に家族の手にかかっている。 金元大統領が成し遂げた業績に匹敵するほどのクリーンな最後がなければならない。 金元大統領が常に話していた「正義が川の水のように流れる国」のために。
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