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「国史の中で最も尊敬される世宗大王と李舜臣将軍の歴史的物語が描かれた“国家代表広場”になるだろう」--。
呉世勲(オ・セフン、写真)ソウル市長は、光化門広場に「すべての国にはその国の歴史性を見せてくれる象徴物がある」とその意を付与した。
デモと集会でごちゃごちゃになったソウル広場の前例について、「光化門広場の歴史性に対する国民的・社会的共感できるものが形成されればそうした心配(不法占拠とデモ)は副次的な問題」とし「デモ・集会を阻むための物理的装置もない」と強調した。
光化門広場造成事業は2006年12月、呉市長が「光化門復元計画」を発表した後、1年3カ月間の工事を経て完成した。呉市長とのインタビューは先月29日、光化門広場で行われた。
--韓国の代表広場という意味は。
「パリのシャンゼリゼやワシントンのナショナルモールのように、国ごとにアイデンティティを感じる空間を広場という形態にして作りあげた。しかし韓国にはそんな空間がなかった。ソウル広場はあったが、文化・休息空間の性格が強く、歴史性は不足だった。光化門広場は朝鮮時代から民と君主が共に過ごす所だった。そういう歴史性を修復した都心再創造プロジェクトという意味がある」
--歴史性をどんな方式で見せてくれるのか。
「我々の歴史と文化にストーリーが調和した文化コンテンツとして表現する。その中心が (10月9日のハングルの日に除幕する)世宗大王の銅像だ。銅像の下に造成される展示空間ではハングル創製過程はもちろん、世宗が女性の使いたちに100日間の産休を与えたという話などを英語、中国語、日本語でも紹介する。外国人たちに“韓国は人本主義的哲学を持った君主がいた国”という印象を与えることができる」
--李舜臣将軍の銅像の前に噴水を作った。
「たった12隻の船で23戦23勝を導き出した方だ。そのストーリーをどう描きだすかによってただの銅像なのか、歴史的意味がある空間なのか分けられる。「噴水12・23」と名付けた理由だ。噴水の水かさを見ながら波と海戦、将軍の勝利が浮び上がるようにした」
--一部の市民たちには“広場恐怖症”がある。ソウル広場に見るように“市民の広場”ではない“デモの広場”“理念・対立・葛藤の広場”に変質されたという指摘がある。
「光化門広場は先祖の精神を称えて私たちのアイデンティティを現す空間だ。法と制度、物理的な抑制よりも社会的共感できるものの方がもっと大きな力を持つ。基本的な開放の原則は“健全な文化活動と余暇生活”という点でソウル広場と同じだ」
--隣近には青瓦台、政府総合庁舎、米国大使館などがあって、ソウル広場より3倍多い人が入ることができる。これから構成される広場運営委員会の役割は。
「健全な常識を持った市民代表たちで構成し、それぞれの目的によって利用するようにする装置だ。ソウル広場や光化門広場を市民たちの意に符合するように運営する案を論議する」
--「世宗ベルト」構想とは何か。
「ワシントンへ行けばリンカーン記念館、朝鮮戦争記念館、自然史博物館が一空間に集まっていて米国の歴史と文化を肌で感じることができる。ソウルは光化門がその中心になる。光化門広場近くには世宗文化会館、ソウル歴史博物館、古宮がある。この空間に都市のアイデンティティを見せる展示施設を造成し、光化門広場~ソウル広場~清渓広場を結ぶ国家象徴の世宗ベルトを作る」
--再選挑戦に出るか。
「ここ3年間『こんなソウルを市民たちに提供したい』という方向を提示した。10月には漢江ルネサンス事業など成果が出始める。このようなことを通じて市民たちは『呉市長のソウル計画は10年ものだね』と感じるだろう。こうした変化の兆しを見て判断すると思う」
--3年の成果は。
「光化門広場のようにハードウェアは完成されれば目に見える。“創意市政”はソフトウェオ的な側面なので知られにくかった。しかし創意市政は福祉・文化政策などを貫く原理だ。どんな政策を展開しても“市民顧客”“市民の幸せ”が中心にならなければならないという市政哲学だ。サービス満足度、清廉度が上がったし、長期賃貸住宅(シフト)は高い人気を享受している。“ソウル型福祉”は外国からベンチマーキングして行くほど知られるようになった」
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