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「自民党の総裁=日本の首相」。1955年、自民党結成以来、日本の政界を支配してきた公式だ。自民党総裁になってからも首相の席に上がることができなかったたった1人の例外はまさに数日前まで衆議院議長だった河野洋平だ。河野は93年、総選で第1党の席は守ったが、過半数に及ぶことができず、8の群小政党の連立内閣に1度政権を渡した直後の自民党総裁だった。しかしそれは「ワンポイントリリーフ」としてマウンドをしばらく渡してやったものにすぎなかった。連立内閣の内輪もめがもたらした隙に乗じて自民党は10カ月で与党に復帰した。だから自民党は与党53年に野党経験はちょうど10カ月だ。自由民主主義が確立された国としては類例がないことである。
自民党は55年、自由党と民主党の結党で誕生した。そのため正式党名は自由民主党だ。左派イデオロギーが拡散の一途にあった時代、革新政党(社会党)に政権を渡すかもしれないという保守勢力の危機感の発露だった。これにより保守-革新の対決構図、いわゆる「55年体制」が完成された。おおかた自民党が議席の3分の2を、社会党が3分の1を占める勢力分布が、社会党が没落する90年代初盤まで続いた。日本式黄金分割だといえるか。日本国民の政治性向の割合がおおよそそうだった。自民党は日本の成功神話を導いた主軸だ。政治安定と有能な官僚集団の行政力を背負い、高度経済成長を成し遂げた政党だ。悪く見れば政・経・官の癒着と規制万能の官僚主義、それによる非効率の体質を作って育てたのも自民党だ。
河野以後、初めて自民党総裁が首相の席に就くことができない可能性が高くなった。総選をひと月余り控えた時点での各種世論の調査は圧倒的に民主党の勝利を占っている。今から官僚は新しい主君となる民主党側につくのに忙しいという報道が続いている。中央官署の局長級以上は全員交代させられるという殺伐とした声が聞こえるところだからどうしようもない。ある民主党議員が数日間事務室を留守にしたらその間に来て行った官僚数十人の名刺が積みあがっていたという。魂の抜けた行動が海をはさんで両国でどうしてこんなにも似ているのか。とにかく政権交代は既定事実として受け入れられる雰囲気だ。嗅覚が最も鋭敏な官僚集団が動いているからだ。生存本能が発達したネズミの群れが難破船からいちばん先に飛び降りるように。
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