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李承?、巨人を離れるのか(4)

朴賛浩も復活に2年

敢えて分類しようとすれば、李承燁は「ハムレット型」キャラクターだ。考え、悩み、また迷う。それで下した結論は予想を完全に外すことが多かった。

彼は1992年、大邱商業高校ではなく慶北高校に進学したし、95年には大学ではなくプロの舞台を踏んだ。すべて周りの勧誘と反対の選択だった。三星(サムスン)で9年活躍した李承燁は、2003年末、国内残留や米国進出ではなく、日本行きの飛行機に乗った。2年後には千葉ロッテと再契約するだろうという予想に反して巨人への移籍を選んだ。


今年であれ、来年であれ、李承燁は野球人生で最後となる選択を控えている。これまでの足跡を振り返ればこれから彼の未来を予測するのは難しい。現在としては日本内での移籍、米国進出、韓国復帰など3つの道が同じような幅で枝分かれしている。

多くの専門家は李承燁はまだ終わっていないと言う。感覚をつかめていないだけという診断だ。メジャーリーグの朴賛浩(パク・チャンホ、現フィラデルフィア)が腰の負傷を治しても姿勢と感覚を取り戻すまで2年の歳月を送ったように、李承燁に必要なのは時間と忍耐かもしれない。

いちばん現実的な方法は日本で新しいチームを探すことだ。ただ復活を証明するまで少なくない心的な負担を抱えるほかない。ファンとメディア、そして球団が2006年の李承燁と2010年の李承燁を絶えず比べると思われるからだ。

李承燁が3月、WBC太極マークをあきらめたとき、大部分のファンは「これから彼を解放してあげなければならない時」と言った。李承燁は54本を打った1999年から10年間「国民打者」として生きた。良い時は無限な栄光だったが、悪いときは岩より重い荷だった。同じような心情で李承燁の国内復帰を勧める野球関係者たちもいる。晩年を気楽に送れというのだ。

彼の年齢は33歳。花火の消える年ではまだない。野球人生の最後の舞台として米国を選択することもできる。2006年、WBCで彼に惚れたメジャーリーグのいくつかの球団は、まだ李承燁をチェックしているという。

李承燁は一度も無謀な選択をしたことがない。しかし勝負だと判断すれば攻撃的なバッティングも厭わなかった。もう李承燁の相手は投手も、負傷でもない。3つの道の選択が彼の最後の勝負だ。



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