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【その時の今日】「日本人が韓国を踏み潰す」李儁烈士が殉国



1907年7月14日、オランダ・ハーグで烈士・李儁(イ・ジュン)は殉国した。

「韓国を助けてほしい。日本人が韓国を踏み潰している」。


同氏が残した最後の言葉だった。朝鮮時代(チョソン、1392-1910年)の第26代王・高宗(コジョン)が第2回万国平和会議に李儁、イ・サンソル、イ・ウィジョン、写真の左から 国史編纂委員会の提供)を密かに派遣した理由は、平和会議前の親書によく示されている。

「強暴な隣国の侵略が日増しに激化し、外交権と自主権を奪われてしまった。己と全国の臣民が天に向かって泣き叫び、地をたたいて号泣しても無駄な状況だから、友好の正義と弱者を助ける義理を施す多くの友邦が広く話し合い、独立と国力を守れるよう助けてほしい」--。

しかし「力の政治」が支配する国際政治の現実は冷酷だった。日本の立場を支持する英国代表に李儁は抗弁した。「今日、英国代表の言葉は、朝英修好条約を弊履(へいり)のごとく捨ててしまい弱小国を迫害するというのも同然だ。英国の紳士道はそのように強弱次第で変わる道なのか」。

しかし同氏のこうした叫びに何の反応もなかった。平和会議は弱者を助けるための会議ではなかったのだ。世界を分割しようとする列強の紛争を防ぐのが主な狙いだった。会議に出席した代表らは、人類ではなく国家の利益に服務した。乙巳(ウルサ)条約が国際社会で扱われることはなく、主権を奪われたのはあまりにも当然だった。生存の競争で敗れた弱者の運命は、議論の対象にすらなれなかった。

7月20日付・米紙ニューヨークタイムズの記事は当時の雰囲気をよく伝えている。「結局、朝鮮は地政学的位置により、戦争の犧牲物になる運命だった。先回の戦争への判定が変更されない限り、朝鮮の完璧な日本化は時間の問題であるのみ」。

はなはだしきは国際平和運動を展開した民間活動家らの頭の中を支配する論理も「適者生存の社会進化論」だった。韓国の特使らに好意的だった「万国平和会議報」の編集長でジャーナリストのウィリアム・ステード氏も例外ではなかった。「万一、貴方が弱いならば、貴方には友達がいないだろう。なぜなら武器のない国は、オオカミの群れの中にある羊も同然だから。万が一、貴方が滅亡したくないならば武装しなさい!武装しなさい!武装しなさい!」。

しかし状況はより暗鬱(あんうつ)に展開した。高宗は強制的に退位され、軍隊は解散され、丁未条約(第三次韓日協約)で国権はさらに傷付けられた。李儁をハーグに埋めた2日後の9月5日、特使らの任務は終わった。その時、我々の友はどこにもなかった。

再び到来した帝国の時代を迎え、大韓帝国の悲しい歴史が韓国の進路を照らす灯台に迫る今日。懲前毖後(前の誤りを後の戒めとする)のリーダーシップを待ち焦がれるばかりである。



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