今年の憲法記念日はとりわけ沈うつな雰囲気で迎えることになった。「大韓民国は民主共和国である」と宣布してから61年、「すべての権力は国民から出てくる」という原則を取り戻し、国民の手で直接大統領を選んだ87年に体制がスタートしてから22年になる今日の韓国で、全国民が「民主主義の後退」と「韓国の政治、このままではならない」という悲観的な診断に陥っている。
一言で、韓国の民主政治は破局に直面しているのだ。韓国の民主主義の「危機症状」を大半の国民が深刻に受けとめているが、その原因と治癒策に対しては理念的立場や政治的スタンス次第でそれぞれ考え方が異なる。全く立場が異なる国民の間で、分裂が日増しに進んでいるのが今日の現実である。
皆が「あなたのせい」と叫んでいるから、国の運命は破局に至るほかないのだ。韓国はいつからか「憲法のない民主主義」も可能だという虚像に捕われたかのように、国の基本となる憲法を「忘却地帯」に残したまま、日常の対立ばかりあおってきた。しかし、もうそうした集団的な責任の回避をこれ以上放任できない。
厳しい状況であるほど基本に戻るのが最善の方針だといわれる。よって韓国の民主主義の枠組みについて、全国民が考え直し、話し合う公式の「憲法議論」が1日も早く始まらなければならないだろう。たまたま憲法記念日を迎える今月、憲法をめぐる議論が活発化する流れを見せはじめている。韓国の憲政史の厳しい山場ごとに憲法の議論を先導してきた対話文化アカデミー(旧クリスチャンアカデミー)は3年にわたりおよそ100人の専門家が加わる憲法の審議を通じ作った憲法改正案を発表することになった。
国会議長が任命した憲法研究諮問委員会も、憲法改正に関する報告書を近く提出するらしい。一方、18代国会が開院した直後に議員ら186人の超党派的な参加から始まった未来韓国憲法研究会も、各党の指導部の消極的姿勢によるこれまでの不振から抜け出し、再び活動に拍車をかけている。こうした一連の動きは、息詰まるように沈滞している韓国政治のマヒ状態を打開できる最善の道は結局、大韓民国の基本価値と規範、そして民主政治運営の原則と規則を再整理する「憲法議論」にあるという認識で全国民が一致しつつあることを示すものだ。
今年9月の通常国会が開会し次第、憲法特別委員会が構成され、活動に乗り出せるよう願いたい。心機一転して政治の、特に国会の中心的な位置を回復できるきっかけとなる憲法特別委員会のスタートは、与野党が一気に合意できるものと思われる。そのようにして国会が主管する公聴会で、各界の諸団体の代表らが、韓国政治への批判と改善策を憲法レベルから提示し、議員らの質問に答える形を通じ、責任感を持って国政に参加できる機会を提供すべきだ。
憲法特別委員会の公聴会が相当期間を要しても、国民の多様な立場と利益が示され、記録にも残るよう配慮するのが、参加民主主義の原則を生かしつつ政治的疎外を減らす適切な方法であるとの点を理解しなければいけない。すでに国民の間では憲法改正に関する多くの意見が表出されている。激しい変化を経験してきた21世紀の韓国社会で、憲法に明記されている国民の基本権も新たに意味が付与されなければならないという見方が多い。
生命権、環境権、女性の平等権、抵抗権などが市民社会の観点から慎重に見直されるべきだということだ。▽国民経済の成長や安定▽適正な所得の分配--をバランスの取れた形で保つべきだという経済条項も、当面の経済危機の中で解釈を改める必要があるという見方もある。地方自治、地方分権、地域主義の問題を一つに括り、国家の組織の形を画期的に変えてみようという意見もある。
しかし国民の関心が最も集中しているのは、やはり政府のあり方と権力システムの問題だ。一方では責任を負えない集中した権力を行使する「帝王的大統領制」の弊害を認めながらも、もう一方では「集団的な意思決定」よりは強力な指導者の決断に頼りたがる矛盾した国民の情緒を、この時点で自ら整理すべきだと、大半の国民は実感している。
国民を代表し、国民に責任を取れる議会が、政治の中心で作動するとき、民主政治が正常に運営されるというのは、すでに世界的に証明された。韓国民が敢えて「韓国的例外性」にこだわるほど偏狭ではないと考える。だから国民の意思と知恵を集め、憲法の議論をスタートさせることは国会の時代的使命であり、国会の権威と位置づけを定立する第一歩となるだろう。
一言で、韓国の民主政治は破局に直面しているのだ。韓国の民主主義の「危機症状」を大半の国民が深刻に受けとめているが、その原因と治癒策に対しては理念的立場や政治的スタンス次第でそれぞれ考え方が異なる。全く立場が異なる国民の間で、分裂が日増しに進んでいるのが今日の現実である。
皆が「あなたのせい」と叫んでいるから、国の運命は破局に至るほかないのだ。韓国はいつからか「憲法のない民主主義」も可能だという虚像に捕われたかのように、国の基本となる憲法を「忘却地帯」に残したまま、日常の対立ばかりあおってきた。しかし、もうそうした集団的な責任の回避をこれ以上放任できない。
厳しい状況であるほど基本に戻るのが最善の方針だといわれる。よって韓国の民主主義の枠組みについて、全国民が考え直し、話し合う公式の「憲法議論」が1日も早く始まらなければならないだろう。たまたま憲法記念日を迎える今月、憲法をめぐる議論が活発化する流れを見せはじめている。韓国の憲政史の厳しい山場ごとに憲法の議論を先導してきた対話文化アカデミー(旧クリスチャンアカデミー)は3年にわたりおよそ100人の専門家が加わる憲法の審議を通じ作った憲法改正案を発表することになった。
国会議長が任命した憲法研究諮問委員会も、憲法改正に関する報告書を近く提出するらしい。一方、18代国会が開院した直後に議員ら186人の超党派的な参加から始まった未来韓国憲法研究会も、各党の指導部の消極的姿勢によるこれまでの不振から抜け出し、再び活動に拍車をかけている。こうした一連の動きは、息詰まるように沈滞している韓国政治のマヒ状態を打開できる最善の道は結局、大韓民国の基本価値と規範、そして民主政治運営の原則と規則を再整理する「憲法議論」にあるという認識で全国民が一致しつつあることを示すものだ。
今年9月の通常国会が開会し次第、憲法特別委員会が構成され、活動に乗り出せるよう願いたい。心機一転して政治の、特に国会の中心的な位置を回復できるきっかけとなる憲法特別委員会のスタートは、与野党が一気に合意できるものと思われる。そのようにして国会が主管する公聴会で、各界の諸団体の代表らが、韓国政治への批判と改善策を憲法レベルから提示し、議員らの質問に答える形を通じ、責任感を持って国政に参加できる機会を提供すべきだ。
憲法特別委員会の公聴会が相当期間を要しても、国民の多様な立場と利益が示され、記録にも残るよう配慮するのが、参加民主主義の原則を生かしつつ政治的疎外を減らす適切な方法であるとの点を理解しなければいけない。すでに国民の間では憲法改正に関する多くの意見が表出されている。激しい変化を経験してきた21世紀の韓国社会で、憲法に明記されている国民の基本権も新たに意味が付与されなければならないという見方が多い。
生命権、環境権、女性の平等権、抵抗権などが市民社会の観点から慎重に見直されるべきだということだ。▽国民経済の成長や安定▽適正な所得の分配--をバランスの取れた形で保つべきだという経済条項も、当面の経済危機の中で解釈を改める必要があるという見方もある。地方自治、地方分権、地域主義の問題を一つに括り、国家の組織の形を画期的に変えてみようという意見もある。
しかし国民の関心が最も集中しているのは、やはり政府のあり方と権力システムの問題だ。一方では責任を負えない集中した権力を行使する「帝王的大統領制」の弊害を認めながらも、もう一方では「集団的な意思決定」よりは強力な指導者の決断に頼りたがる矛盾した国民の情緒を、この時点で自ら整理すべきだと、大半の国民は実感している。
国民を代表し、国民に責任を取れる議会が、政治の中心で作動するとき、民主政治が正常に運営されるというのは、すでに世界的に証明された。韓国民が敢えて「韓国的例外性」にこだわるほど偏狭ではないと考える。だから国民の意思と知恵を集め、憲法の議論をスタートさせることは国会の時代的使命であり、国会の権威と位置づけを定立する第一歩となるだろう。
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