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MKタクシーの研修受けたチョン・テソンさん…外国人初/日本(2)

#父の遺言

父は将軍だった。兄はベル研究所出身の米国の大学工学部教授だ。だからといってチョン・テソンさんの職業を無視する家族はいなかった。母は3人の父子が集まれば「ここには将軍、博士、運転手といろいろいるね」と言った。2000年夏、父は個人タクシーを用意し「私は世界最高の将軍になることはできなかったが、お前は世界最高のタクシー運転手になることができる」と言った。2002年、世を去るときに残した遺言もそれだった。

彼は高校を中退した。学校生活が性に合わなかった。工事現場や引越センターを転々とした。ようやく貯めた金で事業に手を出したが失敗した。1997年、法人タクシーのハンドルを握った初日、彼は一生タクシー運転手をすると心に決めた。働いた対価がすぐ手に入ること、ハンドルを離せばその日の仕事は終わる、というのがよかった。運転をしながらあちこち走り回るのも楽しかった。


これまでマニュアル車を運転してきたのだが、それには理由があった。マニュアル車で走れば燃料費が月20万ウォン程度節減できる。彼は厳しい暮らし向きの中でも毎月「自分啓発費」を貯蓄しているのだ。このお金で大検に受かってインターネットで大学を卒業した。MKタクシー研修のための航空代もここから用意した。彼は現在、光云(クァンウン)大学サービス経営学科大学院に在学中だ。

#副会長の涙

MKタクシー研修で、彼は7人の教官全員から3.0満点をもらった。日本人の中では2.0点が最高だった。この研修のために2年間日本語を学んだ。1分も逃せないと授業に没頭した。研修期間中、ユ副会長に5回会った。研修が終わった翌日、ユ副会長は京都の研修センターから最高級タクシーを送り、彼を大阪の個人事務室に呼んだ。

「何を学んだか」チョンさんはもじもじしながら返事をした。「来る前は、MKタクシーで親切は収益創出の道具だと思っていました。しかし学びながらそれだけではないということを悟りました。親切はMKタクシーの存在理由です。転がるしか能のないセミの幼虫は転がるのが存在理由のように、タクシー運転手は親切なサービスなくして世の中に与えるものは何もないのです」ユ副会長は涙ぐみながらうなずいていた。「よし、ならよかった」



→MKタクシーの研修受けたチョン・テソンさん…外国人初/日本(3)

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