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【コラム】誇らしい大統領記念館を作るには…

 1910年8月29日、韓国は主権を日本に奪われ、独立国家の地位を喪失した。 誰の過ちでわが民族にこれほど大きな事件が起きたのだろうか。 それ以後、日本は韓国の言葉を使えないようにし、創氏改名を通じて民族抹殺を図ったが、19458月15日に連合国に敗れてすべての野心をあきらめることになった。 わが民族は国を取り戻したが、統一政府を実現することはできなかった。 これはまた誰のためなのか。

乙巳五賊が存在せず、高宗(コジョン)が賢明だったなら、日本に国を奪われれなかっただろうか。 金日成(キム・イルソン)と李承晩(イ・スンマン)ではなく、金九(キム・ク)と金奎植(キム・キュシク)だったなら、統一政府を実現できただろうか。 答えはすべて否定的だ。 その理由は乙巳五賊がいなければ別の売国奴が現れたはずであり、金日成と李承晩がいなければソ連と米国に協調的な他の政治家がいたはずだからだ。

仮に一人も売国奴も存在せず、ソ連と米国に協調的な政治家も全くいなかったとすれば、われわれは国を奪われず、統一政府を実現できただろうか。 この質問に対する答えもやはり否定的だ。 不幸にもわが民族は当時、国を守る力がなかったし、光復(解放)後には統一政府を独自に樹立する能力がなかったからだ。 では、主権を奪われたことと国土の分断の責任は誰にあるのか。 日本・米国・中国・ソ連の責任を言う前に、われわれの指導者の分裂と国民各自の能力不足で国力が弱かったことが挙げられる。


大韓民国は上海臨時政府で李承晩と朴殷植(パク・ウンシク)の2人の大統領を選出し、光復後に大統領を輩出した。 大韓民国のすべての大統領は多くの国民から耐え難い非難を受けてきた。 しかしわれわれの大統領は選択しうる最善の方法で、渾身の力を込めて国政を遂行してきた。 その結果、大韓民国は、日帝が収奪し戦争で廃虚になった地から、世界がうらやむ漢江の奇跡を実現した。 この奇跡は大統領だけでは成し遂げられず、黙々と生業に精を出して時代に合った大統領を選択する賢明な国民がいたからこそ可能だったのだ。

国民と大統領がともに知恵を集めて働き、公正な社会を作れば、大韓民国はドイツ・日本と肩を並べる先進国になれるはずであり、民族が願う平和統一の日がくるはずだ。 その日が来るまですべての大統領と家族は歴史と民族の前で罪人として連帯責任があり、「無窮花大勲章」を囚人の首の刀と考え、質素な生活をして国民の模範にならなければならない。 その日が来れば国民は独立記念館に歴代大統領記念館を設立し、最大の称賛と追悼をするはずだ。 民族が太極旗(テグッキ、韓国の国旗)持って歓呼するその日が私たちの生前に来ることを心から願う。



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