|
数年前、闘病の末、認知症の症状を見せた母が亡くなった。母が死ぬ前のある日、病院に立ち寄った息子は外出準備をする母を目撃する。何をしているのかと問う息子に母は「息子が自動車を持って来て待っている」と言った。一人息子だった彼は運転免許を持っていなかった。認知症の症状が現れる前、口癖のように「息子が乗せてくれる車に乗りたい」と言った母だった。息子は大きな衝撃を受けた。息子が乗せてくれる車にどれだけ乗りたくて、認知症になった今までもその言葉を繰り返すのか。8日に来韓した是枝裕和監督(47)が、映画「歩いても歩いても」を作ることになった出発点だった。
◆家族の再発見=家族で互いに成り立つことができない約束を乱発する、悔恨の存在がほかにあるか。問題は、わかっていながらも、いるときに何もしてやれていないということにある。「家族は、いるときは面倒だけれど(どうして何もしてあげられなかったのだろうか)と悔やんでいる存在のようです。私も母が生きているときは半日だけ一緒にいてもくたびれたんです。(小言が)うるさくて面倒で…(笑)」「歩いても歩いても」で横浜の故郷の家を訪れた息子良多(阿部寛)も是枝監督のように「この世の中のすべての愚かな子」の1人だ。結局父(原田芳雄)とサッカー場に行くこともできず、母(樹木希林)が乗りたがった車にも乗せてあげられない。
特別に過激な声やショッキングな表現方式を選ばなかったにもかかわらず、家族の意に対して各々真摯な質問を投げかけるようにするという点で「歩いても歩いても」は卓越した家族映画だ。少年を助けて代わりに死んだ良多の兄の12周忌に集まった家族が送る1泊2日の流れる姿は音のないうちに何か起こる、「静中動」のそれだ。「自伝的映画」ときっぱり言うことはできないが、「歩いても歩いても」には是枝監督が経験した日常的家族の姿があちこちに溶けだしている。同時に、映画を見る人々が皆、思い浮かべる家族の情景でもある。
「私の父も映画の中の父のようにやさしい人とは距離が遠かったんです。私が幼いころは野球が好きだったのですが、そのせいで久しぶりに家に帰ると父からは野球の話ばかり死ぬほど聞かされました。大人になって野球は好きでなくなったのですが、父はそれを知りません(笑)」
「歩いても歩いても」公開控えて来韓した是枝裕和監督(2)
この記事を読んで…