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1945年7月16日午前5時、米国ニューメキシコ州アラモゴードの砂漠の真ん中で強烈な光とともに巨大なきのこ模様の雲が立ち上った。
この日使われた20ktの核爆弾の暗号名はトリニティ。人類初の核実験で現われた爆弾の威力はすぐ翌月、実戦で検証された。広島と長崎に落ちたリトルボーイとファットマンは20万人の命を奪いとった。
米国の核実験はソ連との冷戦が真っ最中だった1950年代に絶頂に達した。実験は主にネバダ州の砂漠の真ん中ある試験場で行われたが、この核実験が米国人の永遠のスター、ジョン・ウェインの死に結びついたという主張がある。
ジョン・ウェインは1954年、核実験場から137キロの距離にあるユタ州の平原でジンギスカンを素材にした映画「征服者」(Conqueror)を撮影していた。日本のジャーナリスト広瀬隆の著書「ジョン・ウェインはなぜ死んだか」によれば30年間、全スタッフ220人のうち90人ががんにかかり、中でも46人が死亡した。放射能との関連を否定しにくい割合だ。ジョン・ウェインは1964年に発病した肺がんでは生き残ったが、79年、結局胃がんで死を迎えた。ディック・パウエル監督とヒロインのスーザン・ヘイワードもがんで死亡した。
米国の初の水素爆弾実験は1954年、太平洋の島マーシャル群島のビキニ環礁で行われた。このときは近くの海域を通った日本のマグロ遠洋漁船第五福竜丸が落塵を大量に被った。この船が米軍が設定した安全線は外にあったのにもかかわらず、船員1人が死亡し、多数が頭痛や歯ぐきの出血などを訴えた。
一連の事故が注意を喚起した結果、各国は1963年地上-水中核実験の禁止協約にサインしたが、地下核実験は禁止の対象から除かれた。大気や海洋の汚染と無関係だという理由だった。しかし地下水や土壌の汚染、そして地震誘発の可能性に対する危険性は相変らず開かれている。
3月、日本で行われた「シルクロードの死」というシンポジウムでは、中国が新疆自治区で行われた22回の地下核実験のため、少数民族であるウィグル族のがん発生率が増え、犠牲者が19万人に達するという報告があった。
先月25日、北朝鮮の地下核実験以後、南北間の軍事的緊張が高まっている。その実験の影響が韓国に及ぶ可能性はほとんどないというが、北朝鮮の住民たちは安心していていいのだろうか。深く懸念される。
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