金正日(キム・ジョンイル)北朝鮮国防委員長が三男の金正雲(キム・ジョンウン、26)氏を後継者に確定したのは、北朝鮮の朝鮮労働党創建記念日の昨年10月10日ごろだという証言が出てきた。
続いて金委員長は昨年末、北朝鮮を訪問した在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の関係者に金正雲氏を紹介したという。日本の消息筋は3日「昨年12月28日に金委員長が国立交響楽団の公演を観覧する際、金正雲氏が同行した」とし「公演の直後、朝鮮総連の人々と会って金正雲氏を紹介した」と伝えた。
同筋は「当時、金正雲氏はこれらと握手を交わし、金委員長は一部の人物に“どうぞよろしく”と頼み、彼を後継者に決めたことを暗示した」と付け加えた。昨年12月末は、金委員長が脳卒中の後遺症から回復し、公開活動を本格化した時点だ。朝日新聞はこの日「後継者を指名した、という事実を朝鮮労働党の幹部が中国共産党の幹部に伝えた」と報じている。また同紙によると、金正雲氏は今年に入って初めて党と軍の人事権を握る党組織指導部長に就任した。
これにより中国と朝鮮総連の幹部らはすでに昨年末、金正雲氏を後継者に認知したはずだという見方が出ている。ほかの北朝鮮消息筋は「“権力は分け合えないもの”という点をよく知っている金委員長は、後継をめぐる協議を先送りするという立場だったが、脳卒中以降、考え方が変わった」とした後「党創建記念日の昨年10月10日を前後に、国防委員会の会議で後継者を決めた」と話した。
同筋は「金委員長は、党政治局会議で内定された後、全員会議・党大会を経て外部に公表されたが、金正雲氏の場合、実質的な統治機関の国防委員会で決まった」と付け加えた。専門家は昨年末から行われた大規模な人事に注目する。金委員長は昨年末、キム・キョンオク組織指導部副部長を第1副部長に昇進させた。また解任された崔益奎(チェ・イッキュ)宣伝扇動部第1副部長を部長に昇進、復帰させ、軍指導部も交代させた。ここに妹の夫、張成沢(チャン・ソンテク)党行政部長を含め、以前4人だった国防委員を8人に拡大した。
国民(ククミン)大学のチョン・チャンヒョン兼任教授は「金委員長の“実家体制”を強化すると同時に、後継体系を本格化する狙い」という見方を表した。金委員長は今年に入って、64回にわたる公開活動に臨んだ。昨年37回、07年25回に比べ、大幅に増えた規模だ。
仁済(インジェ)大学のチン・ヒグァン教授(統一学)は「金委員長は脳卒中以降、通常と異なる形の統治方式を見せた」とした上で「毎度異例のことだと考えたが、情報機関が後継の内定を確認した後、再整備されたもの」という見解を示した。同教授は「金正雲氏が金委員長に同行し多様な経験を積んでいるものとみられる」とし「金正雲氏は後継授業と政治的な功績づくりを同時に行う可能性が高い」と話した。
続いて金委員長は昨年末、北朝鮮を訪問した在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の関係者に金正雲氏を紹介したという。日本の消息筋は3日「昨年12月28日に金委員長が国立交響楽団の公演を観覧する際、金正雲氏が同行した」とし「公演の直後、朝鮮総連の人々と会って金正雲氏を紹介した」と伝えた。
同筋は「当時、金正雲氏はこれらと握手を交わし、金委員長は一部の人物に“どうぞよろしく”と頼み、彼を後継者に決めたことを暗示した」と付け加えた。昨年12月末は、金委員長が脳卒中の後遺症から回復し、公開活動を本格化した時点だ。朝日新聞はこの日「後継者を指名した、という事実を朝鮮労働党の幹部が中国共産党の幹部に伝えた」と報じている。また同紙によると、金正雲氏は今年に入って初めて党と軍の人事権を握る党組織指導部長に就任した。
これにより中国と朝鮮総連の幹部らはすでに昨年末、金正雲氏を後継者に認知したはずだという見方が出ている。ほかの北朝鮮消息筋は「“権力は分け合えないもの”という点をよく知っている金委員長は、後継をめぐる協議を先送りするという立場だったが、脳卒中以降、考え方が変わった」とした後「党創建記念日の昨年10月10日を前後に、国防委員会の会議で後継者を決めた」と話した。
同筋は「金委員長は、党政治局会議で内定された後、全員会議・党大会を経て外部に公表されたが、金正雲氏の場合、実質的な統治機関の国防委員会で決まった」と付け加えた。専門家は昨年末から行われた大規模な人事に注目する。金委員長は昨年末、キム・キョンオク組織指導部副部長を第1副部長に昇進させた。また解任された崔益奎(チェ・イッキュ)宣伝扇動部第1副部長を部長に昇進、復帰させ、軍指導部も交代させた。ここに妹の夫、張成沢(チャン・ソンテク)党行政部長を含め、以前4人だった国防委員を8人に拡大した。
国民(ククミン)大学のチョン・チャンヒョン兼任教授は「金委員長の“実家体制”を強化すると同時に、後継体系を本格化する狙い」という見方を表した。金委員長は今年に入って、64回にわたる公開活動に臨んだ。昨年37回、07年25回に比べ、大幅に増えた規模だ。
仁済(インジェ)大学のチン・ヒグァン教授(統一学)は「金委員長は脳卒中以降、通常と異なる形の統治方式を見せた」とした上で「毎度異例のことだと考えたが、情報機関が後継の内定を確認した後、再整備されたもの」という見解を示した。同教授は「金正雲氏が金委員長に同行し多様な経験を積んでいるものとみられる」とし「金正雲氏は後継授業と政治的な功績づくりを同時に行う可能性が高い」と話した。
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