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中国の作家、朱自清(1898~1948)には忘れられない姿があった。おばあさんの葬儀を一緒に行った後、職場を失った父が汽車の駅で自分を他郷に送ったときの後ろ姿だ。「背影」という題の散文に出てくる内容はだいたいこのようだ。
すべてのものが不安定だった1925年の中国。葬式を済ませて汽車駅で別れる貧しい父子の話だ。勉強を続けるために北京に発つ息子(作者)を見送って汽車にまで一緒に来た父は、プラットホームの向こうになんとか移って、息子に与えるみかんを買ってくる。やがて列車の外に出た父は息子と別れる。この過程で作家の目は2度父親の後ろ姿に目を止める。
みかんを買うために両手でプラットホームの上をつかんで両足をすぼめてなんとか立ち上がる姿、見窄らしい服に古い上着を引っかけて人の波の中に寂しく消える父の影だ。作者はそのたびに「涙がたちまち流れた」と告白する。
中国現代文学で散文の古典として評価を受けている作品だ。戦乱が続く不安な時期にやるせない人生を生き抜こうとする父子の痛々しい情感がよく表れている。父の後ろ姿が作家には常に憐愍と懐かしさとなって残っているという内容だ。
人の後ろ姿はたいてい物悲しい。社会的に大きく成功した人でも後ろ姿だけはそれほど堂々としてはいない。人間としての虚弱さがその肩の上にそっくりそのまま現れる。
後ろ姿とその後ろに沿う影はそれで常に大衆の感性を刺激する。歌手ノ・サヨンもこんな感性を「あなたの影」という歌で「離れて先を行くあなたの後ろから長い影を差し上げた夜…あなたの影を踏もうと思ったら、悲しみが胸にくる」と歌った。少なくない論難と話題を残したまま前職盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が去っている。その後ろ姿も悲しくて弱々しい。庶民的な風貌を残した彼には多くの哀悼がある。
彼をめぐり性急に是非を問うのはよそう。それに対する毒舌、逆に現政権に謝罪を要求する声、すべて意味がない。彼が遺書に残した「恨むな」という言葉は和解のメッセージだ。悪辣なけんかが常に起こっている韓国社会としては、反省するに値する意味だ。
北朝鮮の核実験とミサイル発射でなおさら落ち着かない。盧武鉉前大統領の後ろ姿から共存と和合の意を刻むことはできないか。そうできないだけの、浮薄な共同体ではないと思う。
【ニュース特集】盧武鉉前大統領逝去、韓国国民悲しむ
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