|
1980年5月18日に全羅南道光州(チョンラナムド・クァンジュ)で起きた民主化運動(以下・5.18光州民主化運動)を背後で操縦した「内乱陰謀」の首謀者とされ、死刑が確定した金大中(キム・デジュン)元大統領の命を救う過程で、当時のローマ法王が寄与したことを推測させる文書が公開された。
19日、光州日報が国家記録院から入手した資料によると、当時のローマ法王だったヨハネ・パウロ2世は、内乱陰謀事件で死刑を言い渡された金元大統領の減刑を要請するメッセージを、80年12月11日、当時の全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領宛てに送った。
当時、全大統領は91年1月5日付の「回答書信」で「(金大中氏は)いかなる政治的な理由ではなく、単に違法な方法と暴力で、合法的な政権を転覆しようとした反国家的犯罪によって裁判を受けているのであり、依然最高裁に係留中」とし「(ローマ法王の)訴えが全的に人道レベルの配慮と慈悲によるものだという点に留意する」と答えた。
金元大統領は最高裁で死刑が確定した状況だったが、ローマ法王をはじめとする国際社会の救命運動によって、無期懲役に減刑された。減刑に接したヨハネ・パウロ2世は同年2月14日、全大統領宛てに親書を送り「閣下が速やかに配慮してくれたことに、感謝の言葉を申し上げたい。閣下に最大の敬意を表し、立派な韓国民に神様の加護と恩恵があるよう祈りたい」という立場を伝えた。
金元大統領は懲役20年に減刑された後、82年に刑が執行停止となって米国に亡命しており、87年に赦免、復権された。自身の大統領任期を終えた03年、裁判所に内乱陰謀事件の再審を請求し、翌年無罪判決を言い渡された。
「金大中内乱陰謀事件」は80年に新軍部が「5.18光州民主化運動」を「金大中氏らによる内乱陰謀」に捏造した事件だ。同事件で、金元大統領をはじめ、故・文益煥(ムン・イクファン)牧師と李海チャン(イ・ヘチャン)元国務総理など当時の民主化運動の関連人物ら24人が苦難を経験した。
この記事を読んで…