言いかえると国内企業は国民の国産品愛用で芽を開かせることができたが、中国企業はそんな潤った土壌がないという話だ。今はソニー、パナソニックを見下すほど大きくなった国内電子企業だが、1980、90年代は外国製に比べていまひとつだった。若者の間ではソニーウォークマンが羨望の対象で、米国の駐在員なら通例日本製のテレビ、米国製の冷蔵庫を持ちこんだ時代があった。それでも韓国人消費者たちは何であれ無条件、国産品を使わなければならないと信じた。どうせなら国産品を買ってあげようという心がしみついていた。最近会ったある同胞も「ずっと買おうと思ってきた韓国車を買った」とし「移住して30年たってようやく心の荷を軽くした」と話した。法的に米国人になってからも頭を離れない故郷の車を買わなかったことが心の隅に重たい塊となって残っていたのだ。
いくら性能が良くて安くても、外国製は関税が高く、考えもできなかった。85年の記事を見ると462ドルした20インチ日本製ナショナル(パナソニック)のテレビは関税40%で、税金・マージンまで含めて130万ウォンは出さなければならなかった。当時のレートで換算すれば40万ウォン(約3万円)だった日本製のテレビを、3倍以上の値段で買わなければならなかったことになる。同じ大きさの国産テレビは50万ウォンだった。
いくら性能が良くて安くても、外国製は関税が高く、考えもできなかった。85年の記事を見ると462ドルした20インチ日本製ナショナル(パナソニック)のテレビは関税40%で、税金・マージンまで含めて130万ウォンは出さなければならなかった。当時のレートで換算すれば40万ウォン(約3万円)だった日本製のテレビを、3倍以上の値段で買わなければならなかったことになる。同じ大きさの国産テレビは50万ウォンだった。
この記事を読んで…