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▼ともに過ごした人を忘れない義理派
底辺での生活を経験したからなのかペ・ヨンジュンは苦しい時にともに過ごした人たちに対する義理を忘れなかった。自身の真価を見つけてくれたプロデューサーのチョン・ギサン氏に対する感謝からドラマ「若者の日なた」以後のさまざま作品からラブコールをを受けたがこれをすべて断り、ドラマ「パパ」を選択した。
彼の演技の変身は1996年から始まった。ドラマ「初恋」でトレードマークでだったメガネも果敢に投げ捨てた。ソフトな男のイメージではない反抗的な目つきを強調し母性愛を刺激したのだ。
だが人生最大の転換点は2002年のKBS第2テレビのドラマ「冬のソナタ」だった。このドラマでペ・ヨンジュンは韓流スターとして生まれ変わったのだ。2005年に映画「四月の雪」の興行失敗から韓流スターとしての地位は低下したように見えたが、2007年に「太王四神記」でそれまでの不振をぬぐい去った。
ペ・ヨンジュンのマネジャーは「常にトップスターだったが周囲の人々に配慮する心は変わらなかった。5年前に現場マネジャーを引き受けたある友人が月給80万ウォンで生活していたが、ペ・ヨンジュンがすぐ300万ウォンをその友人の通帳に降り込ませた。「どうしてそうしたのか」その友人が尋ねると、「君が300万ウォン以上のことをしたからだ」と肩をたたいたという。彼は所属事務所BOFのスタッフら「BYJ」あるいは「ヨンジュン兄」と親しく呼ぶよう求める。一時マネジャーを殴っているといううわさがあったがある知人は「見かけとは違い実は男らしく気さくな人間味がある性格だ。いたずらっぽく後輩らと肩を組み、げんこつで殴るそぶりもするが、これが誤って伝わったようだ」と話した。
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