姜錦遠(カン・クンウォン)昌信(チャンシン)繊維会長は銀行の融資をほとんど受けず負債のない経営をすることで有名だ。世界的な不況を迎えた昨年も90億ウォンの純利益を出した。
姜会長は朴淵次(パク・ヨンチャ)泰光(テグァン)実業会長と同じように通貨危機当時に大きな為替差益を得た。当時、姜会長は静電気のない合成繊維などを輸出してドルを受けていたが、100億ウォン台以上の為替差益が生じた。98年の昌信繊維の売上高が320億ウォンである点を考えれば非常に大きな金額だ。
姜会長はこうして稼いだ金を事業の拡張に使った。もともと昌信繊維は年間売上高200-300億ウォンの典型的な中小企業だったが、盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領の後援者として広く知られ始めた。
姜会長は全羅北道扶安(チョルラブクド・ブアン)出身で、全州(チョンジュ)工高を卒業し、75年にソウルに昌信繊維を設立した。91年に釜山(プサン)に移り現在に至っているが、外部の人だという理由で主流に入れなかった、というのが地域の人たちの話だ。
昌信(チャンシン)繊維は米国・日本・欧州などで原綿・原糸などを輸出している。売上高の90%が輸出だ。国内では毛布を軍隊に納品している。
これと関連し03年当時ハンナラ党議員だった金文洙(キム・ムンス)京畿道(キョンギド)知事は「特恵を受けた」という疑惑を提起し、姜会長は金知事を相手に損害賠償請求訴訟を起こしたりもした。
姜会長をよく知る企業関係者は「義理派で、信頼が生じればすぐに巨額の資金を貸したりもする」と話した。しかし姜会長は会社の資金を使って知人を支援するなど公私の区別ができない、という指摘もある。
姜会長は朴淵次(パク・ヨンチャ)泰光(テグァン)実業会長と同じように通貨危機当時に大きな為替差益を得た。当時、姜会長は静電気のない合成繊維などを輸出してドルを受けていたが、100億ウォン台以上の為替差益が生じた。98年の昌信繊維の売上高が320億ウォンである点を考えれば非常に大きな金額だ。
姜会長はこうして稼いだ金を事業の拡張に使った。もともと昌信繊維は年間売上高200-300億ウォンの典型的な中小企業だったが、盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領の後援者として広く知られ始めた。
姜会長は全羅北道扶安(チョルラブクド・ブアン)出身で、全州(チョンジュ)工高を卒業し、75年にソウルに昌信繊維を設立した。91年に釜山(プサン)に移り現在に至っているが、外部の人だという理由で主流に入れなかった、というのが地域の人たちの話だ。
昌信(チャンシン)繊維は米国・日本・欧州などで原綿・原糸などを輸出している。売上高の90%が輸出だ。国内では毛布を軍隊に納品している。
これと関連し03年当時ハンナラ党議員だった金文洙(キム・ムンス)京畿道(キョンギド)知事は「特恵を受けた」という疑惑を提起し、姜会長は金知事を相手に損害賠償請求訴訟を起こしたりもした。
姜会長をよく知る企業関係者は「義理派で、信頼が生じればすぐに巨額の資金を貸したりもする」と話した。しかし姜会長は会社の資金を使って知人を支援するなど公私の区別ができない、という指摘もある。
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