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米国ワシントンDCの国立歴史博物館には16代大統領アブラハム・リンカーンの遺品である懐中時計がある。この時計の中には隠されたメッセージがあるという伝説があるという。ワシントンポストは3月11日、その伝説が事実であるという内容の報道をした。
時計修理工ジョナサン・ディロンによって1861年4月13日に刻まれたメッセージは「サムター要塞が反逆者に攻撃された。私たちには政府があることを神に感謝する」という内容だった。南北戦争勃発時、ちょうどディロンは大統領の時計を修理していたのだ。民衆の憂国衷情の気持ちが南北戦争期間、大統領の懐の中に常におさめられていたという事実が妙な響きを残す。
文化財庁は大韓民国臨時政府樹立90周年である13日を控えて白凡金九(ペクボム、キム・ク)先生の遺物19点を文化財登録予告した。なかでも一つがまさに尹奉吉(ユン・ボンギル)義士が上海虹口公園義挙直前、金九先生と交換したという時計だ。「白凡逸志」は挙事日の1932年4月29日朝の情景をこう伝える。
「食事も終わって時計が7の点を指す。尹君は自分の時計を取り出して『この時計は昨日の宣誓式後に先生のお話どおり6ウォンで買った時計ですが、先生の時計は2ウォンですから私のものと取り替えましょう。私の時計は1時間しか使うことがないからです』ということで、私も記念に尹君の時計をもらい、私の時計は尹君にあげた」
生きて祖国の光復まで邁進する人と身は捨てて名前のみを青史に残す人。2つの丈夫の取り合った手によって伝わったのが時計だけではなかったはずであり、見れば文化財指定はむしろ遅れた気がする。
ふと、かなり有名だが、あまり美しくはないエピソードを含んだ時計が思い浮かぶ。故朴正煕大統領を殺害した金載圭(キム・ジェギュ)元中央情報部長は10・26の2カ月前の1979年8月、朴正煕大統領の62回目の誕生日のプレゼント用にスイスのブランドであるパテックに2万ドルの純金時計を注文した。こんなに忠誠を誇示しようとしていた人物が、どうして殺害者に変身したかは今も疑問だ。結局、この時計はいざ贈り物として使われなければならなかったその年11月14日には、注文した人も、受けとる人も会うことができなかった非運の迷子になった。
時計が伝える話でもこんなに違うことがあるという事実もまったく異彩だ。ある時計に救国の信念と男たちの情が込められていたら、一方の時計が示すものは権力に向かった人間の虚しい野心と豹変する人心だけだ。できれば2つの時計をどこか並べで展示することが歴史の教訓をさらに深めてくれるのではないだろうか。
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