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張成沢(チャン・ソンテク)北朝鮮労働党行政部長が国防委員会に入った。金正日(キム・ジョンイル)国防委員長の妹の夫で、すでに「党中の党」である組職指導部の第1副部長を経た彼だ。
そんな彼が北朝鮮の権力中枢の国防委員会委員になったことで、金委員長の代理人であると同時にポスト金正日時代を準備する管理人の役割まで担うことになったといわれている。
これは北朝鮮で国防委が重要な人物で構成されていることによる。国防委には、2000年10月に金委員長がビル・クリントン米国大統領に会う特使として選んだ趙明録(チョ・ミョンロク)第1副委員長、金委員長への2代承継過程で軍内核心支持人物だったオ・ククリョル副委員長、金日成主席のめいの夫であるイ・ヨンム(人民軍副元帥)副委員長、人民武力部長であるキム・ヨンチュン副委員長、北朝鮮経済の中心である軍需経済を責任負うペク・セボン(第2経済委員長)委員、前職人民武力部長であるキム・イルチョル委員らが布陣していた。
一時、左遷されてから2006年、権力の核心に復帰、昨年には北朝鮮の「国政課題」である平壌市現代化事業の責任を担った張部長が党内核心であると同時に最高権力機関である国防委員会の公式メンバーに加わったのだ。
ヤン・ムジン北韓大学院大学教授は「張部長は金委員長から後継者に備えた土台を作るよう任務を負うことになったとみなければならない」と指摘した。東国大キム・ヨンヒョン教授(北朝鮮学)も「張部長が金委員長の代理人であると同時に今後の後継者の後見人の役割をする」と述べた。金委員長が張部長を国防委員に選んだのは「金正日3期体制」の統治安定化だけではなく、後継問題まで念頭に置いた布石だという指摘だ。
それでも張部長に会った韓国側の人物は、権力復帰以後、彼の態度は極度に慎重に見えたと伝える。2007年10月、平壌で行われた南北首脳会談時の歓送昼食会時、ムン・ジョンイン延世大教授が張部長に近づき、丁世均(チョン・セヒョン)前統一部長官を金委員長に会わせることを勧めた。張部長はためらったが、チェ・スンチョル統一宣伝部副部長まで加わって勧めると、結局、丁前長官を連れて金委員長に近付いた。しかし実際に丁前長官を金委員長にあいさつさせ「南北関係で良いことたくさんしました」と言う金委員長の返事を引きだしたのはチェ副部長だった。張部長はただ後ろから不動の姿勢で立っているだけだったという。これを見ていた当時の出席者は「むしろ金委員長としては張部長のそうした姿に信頼がもてたのだろう」と話した。
張部長が国防委員に選ばれたのは、昨年、金委員長の健康異常を傍証するという指摘もある。イ・ギドン国家安保戦略研究所責任研究委員は「昨年、健康異常問題を経験して心的に動揺した金委員長が信じて任せる人物には親戚、特に義弟を選択したものと見なければならない」と述べた。
2005年、鄭東泳(チョン・ドンヨン、元統一部長官)特使の訪朝当時、金委員長は、韓国側人物に更迭状態だった張部長の安否を問われると「韓国側に行って(2002年経済使節団訪問)爆弾酒を覚え、身体を悪くしたので休ませた」と笑いながら返事をしたことがある。
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