旅順監獄で安義士が足跡を残したもう一つの現場は、最後を迎えた絞首刑室だった。「控訴せず、堂々と行動を」という母親チョ・マリアの忠告を受け、安義士は命を乞うことはしなかった。1910年3月26日午前10時。安義士の首に縄がかけられた。午前10時10分ごろ安義士はこの世を去った。天主教(カトリック教)の霊名はトーマス。年齢はわずか31歳だった。
安義士は「遺体をハルピン公園に埋めた後、独立したら祖国の地に埋めてほしい」という遺言を残した。しかし日本は遺体を遺族に引き渡すのを拒んだ。このため安義士の遺体は今でも冷たい旅順のどこかに埋められたまま、祖国の地に戻れずにいる。安義士が最期を迎えた場所は、その後、監獄の洗濯所に使われた。
安重根義士殉国99年…旅順監獄に行く(1)
安義士は「遺体をハルピン公園に埋めた後、独立したら祖国の地に埋めてほしい」という遺言を残した。しかし日本は遺体を遺族に引き渡すのを拒んだ。このため安義士の遺体は今でも冷たい旅順のどこかに埋められたまま、祖国の地に戻れずにいる。安義士が最期を迎えた場所は、その後、監獄の洗濯所に使われた。
安重根義士殉国99年…旅順監獄に行く(1)
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