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豆満江を渡ってからひどい目に遭ったのは小説家キム・ハギだった。延辺を旅行中だった1996年夏、鬼に魅了されたように月明かりに濡れた青い水を踏んで豆満江に跳びこんだと、彼は回顧する。分断と未転向長期囚問題を穿鑿(せんさく)してきた作家が、北の地の咫尺(しせき)に立った感慨を処理できなかったせいなのかもしれない。その上に延辺の居酒屋を回って北朝鮮人が経営する食堂で3次会の酒を飲み終わるころだった。雨季に呼ばれて川の水は怒った海のようにどどっとあふれた。気力が尽きた彼が我に返った所は、向こう側の会寧の川沿いだった。北朝鮮人民軍1個分隊が彼の頭に銃口を狙っていた。
「あなたは南朝鮮の水泳の選手か」北朝鮮捜査要員が初めて投げた質問だった。彼はずっと会寧の旅館に閉じこめられて取り調べを受けた。「ここに新しく根付いて小説でも書かないか」という懐柔もあった。スパイの疑いを脱却して半月ぶりに釈放されると、今度は国内情報機関の捜査を受ける番だった。小説を書くために、公開していた未転向長期囚の服役現況と踏査旅行をして分かった休戦線一帯の地形地物を、北朝鮮捜査要員に述べたのが問題になった。結局、国家保安法違反の疑いが認められ、実刑を服役して7カ月あまりぶりに特赦で釈放された。
半月の間に南北から順に捜査を受け、陳術書に母印を押す経験は極度の精神的喪失感を抱かされたとキム・ハギは回顧する。取調室と再判定と監獄を転々とする間、彼の脳裏には南北韓の両方に幻滅を感じて結局、海に身投げをしてしまう小説の中の主人公イ・ミョンジュン(崔仁勲「広場」)の魂が離れなかったという。1980年代、時局事犯で法廷に立った彼が「私は時代の棒に叩かれ、あちこちにぶつかる“バッキン”(罰金)になったビリヤードの球にすぎません」と言った最後の陳述が後日、自分の運命に対する予言になるとは本人も分からなかったはずだ。
豆満江の端で脱北者問題を取材した米国放送局の所属女性記者2人が北朝鮮に抑留されてから1週間が経った。ちょうど北朝鮮のミサイル打ち上げ実験予告で朝米関係の水がどこに流れるかわからない微妙な時点だ。そのため本人たちの意思とは関係なく政治的取り引きの素材に変質される可能性が高いものとみられる。過去の事例を見ればなおそうだ。96年も酒に酔って鴨緑江を泳いで渡って新義州に3カ月間抑留された米国青年エバン・ハンジカー事件は東海岸潜水艦事件などで滞っていた朝米間の特使派遣の口実として活用された。いざ釈放されたハンジンカー氏はピストル自殺で短い生涯を閉じてしまったが。韓半島分断という“時代の棒”に間違って当たったのがキム・ハギだけだったか。
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