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大韓帝国時代の130年前、日本には「ビジネス朝鮮語」の本があった。このごろ私たちが勉強する「ビジネス英会話」のようなものだ。
日本の東京大学大学院に在学中のソン・ユナさん(39、人文社会系研究科国語研究室)は、日本各地の図書館を歩き、74種の「朝鮮語会話書」を見つけた。ソンさんが見つけた朝鮮語会話書とは、当時、朝鮮語(韓国語)を学ぼうとする日本人のための一種の語学教材だ。
壬午事変(ソウルでの軍人暴動)が起きた年の1882年に編さんされたものから、最後の本は1910年代初期のものまである。
「ネ チョムバンエソヌン ウェシャンウン チュジ アニホニ マットンウロ サガシヨ」「日韓通話」(1893)という会話本に書かれた文章だ。ここで「マットン」は「現金」を意味する。現代語にすると「私たちの店ではツケはしないから現金で買っていってください」という意味だ。
1904年、会話本である「最新日韓会話案内」には「チムチ ネヨラ」「コッチュカル チョッコム ジュシヨ」という表現が出てくる。130年前には「キムチ」が「チムチ」といわれていた。延世大国文科ハン・ヨンギュン教授は「キムチをチムチ、またはチムチェとも表現したが、これは“沈む”という意味の“チム”とナムル・野菜を意味する“菜”(チェ)に由来したもの」とし「マットンも現金という意味で、当時の小説などに出ていたのを見た記憶がある」と説明した。
ハン教授は「ソンさんの研究論文や論文に使った朝鮮語会話資料を見てみたい」とし「その資料の中には研究者たちが注目しなかった内容も含まれているものとみられる」と述べた。
当時の社会像が垣間見える表現も多い。また旧韓国末にすでに外来語が日常生活で使われていたことも想像できる。「ビスケットでもちょっと持ってきて」という表現が当時の会話本(「韓語会話」1905)に出ている。
朝鮮語会話本には大陸進出のための日本の用意周到な準備過程も現れている。例えば壬午事変前後の1882年から1884年まで出版された会話諸本は「外交・交易」と係わった内容を主に扱っていた。しかし1890年代以後、日清戦争を前後して出版された諸本には食糧・物資調達と関連する対話や敵軍の動静を把握するのに必要な会話などが多かった。
朝鮮を強奪した後の日露戦争(1904年)ごろには警察や鉄道員のための会話書、または土地の調査目的や朝鮮への移住のための会話書などが多様に編さんされた。
軍の士気を高めるための内容も多く見られる。
「日本兵士は教育も受け、愛国心もあるから戦争に連勝することがおかしなことであるわけがないということです」といったものだ。ソンさんは「日本が東アジアで覇権を占めるために基礎準備をどれだけ緻密にしてきたのかを新しい視覚で見ることができる」と述べた。
また自分が見つけた朝鮮語会話書を通じて、当時の時代相だけではなく、日本語の語法・表現などがどう移り変わったのかを明らかにした。
これが認められ23日、東京大学で博士の学位を受ける。東京大学国語研究室113年ぶりの4号博士だ。外国人としては初の博士学位授与者となる。
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