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<WBC>韓国野球界が見た原辰徳監督とは…

▽崔東原が見た原監督

崔東原(チェ・ドンウォン、元ハンファ2軍監督)=1958年生まれの同じ年齢であり、国際大会で何度か会っている。 打撃も良かったし、守備も柔軟性があった。 原監督はアマチュア時代から「長嶋茂雄の後継者」として期待された選手だった。 いろんな面で他の選手とは違った。

1981年に読売に入団した後は言うまでもない。 ファンは‘ミスタージャイアンツ’という名前を原監督に付けたがっていた。 野球人生で大きな支えになったはずだ。 原監督はよく頑張っていた。負担になったかもしれないが、どっちみちプロ選手なら誰でも負担と戦わなければいけない。


▽李善熙が見た原監督

李善熙(イ・ソンヒ、三星スカウトコーチ)=1980年8月28日、日本・東京の後楽園球場で原監督と対戦したことがある。 世界野球選手権大会の第6戦だった。 先発の崔東原(チェ・ドンウォン)が本塁打2本を許して0-3とリードされた3回、私がマウンドに上がった。

原監督とは2度対戦したが、2打席とも打ち取った。 試合前に原監督は内角に強いという情報を聞いていたので、内角には誘引球だけを投げた。 勝負球は外角のスライダーだった。 この試合、韓国は1-3とリードされていたが、7回表に6点を奪って逆転勝ちした。 このイニングの最初の得点は、無死満塁から原監督の失策で得たことを覚えている。

▽金用煕が見た原監督

金用煕(キム・ヨンヒ、元ロッテ監督)=1980年の世界野球選手権大会で原監督に初めて会った。 マナーのよい紳士的な選手というのが最初の印象だった。 今も変わらず紳士だ。 当時の日本代表のスター選手は三塁手の原監督、遊撃手の石毛宏典(元オリックス監督)だった。

石毛が華麗なプレーだとすれば、原監督の守備は着実なプレーでレベルが高かった。 打撃でもパワーと上手さを兼ね備えていた。 原監督が翌年、読売に入団した後も、時々テレビでプレーを見ていた。 韓国にプロ野球がなかった時代だったので、本当にうらやましく感じた。 「11年前の大会では原監督を抑えて自分が三塁手部門でベストナインに選ばれたのに…」と考えたりもした。

▽張本勲が見た原監督

張本勲(=張勲、元読売4番打者)=私は読売で1976年から4年プレーしたので、原監督の先輩になる。 読売のユニフォームを着て一緒にしたことはないが、よく知っている。 非常に努力する選手だった。 スランプに陥れば、私の家に来て打撃の指導を求めたりした。 性格は激しくない。

読売の4番打者は日本を代表する選手だ。 その負担に勝つのは容易でない。 実際、原監督は現役時代、何度も非難に苦しめられた。 ‘形だけの4番打者’という声もあった。 一度、家に来たとき、目に涙を浮かべていたのを見たことがある。



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