![]() |
|
他人が見れば「変わり者」と思われるかもしれないが「その日、家に帰って妻から『そんなことは言うものではない』と“教育的指導”を受けた」と打ち明け、純粋な性格を垣間見せた。
1940年、名古屋で生まれた彼の少年期は厳しい時代だった。5歳だった45年、B29機の爆撃で焼夷弾が雨のように落ち、周辺の家はすべて燃えてしまった。彼の家に落ちた焼夷弾は幸いにも不発弾だった。リヤカーに乗って火の海の中を家族と一緒に逃げた記憶が鮮明だという。そのためか、彼は徹底的な反戦主義者だ。有事のときには、彼は平和運動に自分の人生の軸を変えてしまうかもしれないと打ち明ける。恩師である坂田晶一先生から「勉強ばかりして社会的な問題を考えなければ、まともな科学者にはなれない」という教えを受けたのが大きく影響を及ぼしている。
益川さんは学生時代、勉強には特に関心がなかった。砂糖店を経営していた父親も「家業を継ぎなさい」と言っていた。しかし当時、名古屋大学の坂田晶一氏のすぐれた論文の実績が新聞に報道されたのが、彼の人生を変えた。父親は名古屋大学進学を夢見る彼をなんとかやめさせたが「1回だけ入試を受けさせよう」という母親の一言で高校2~3年時、死に物狂いで勉強にエネルギーを費やし、大学に合格した。益川さんはいまでも、何か真剣に考え事があれば「ひとまずやってみる」という。少し「雑音」が入るといい考えが浮かぶからだそうだ。以前、ある考えに完全に没頭しながら赤信号だった横断歩道をそのまま歩いてトラック運転手に「お前死にたいのか」と怒鳴られたことがあったという。
益川敏英さんインタビュー1「論争できる良き友作れ」
この記事を読んで…
