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「加七峰(カチルボン)中隊で夜間警戒中にうとうとすることはあり得ない」と中隊長のキム・ウンリョル大尉は話す。2人1組となった哨兵たちは哨所を回りながらひとときも休む暇がなかった。
警戒組2人のうち1人が哨所に入ると残り1人は哨所の外で警戒勤務に就く。哨所の中の兵士は10分間で敵の状況を把握し、北側に向いたクレイモア地雷が正しく装置されているか確認した。外にいる哨兵は飛行物体がないかなどを見続ける。2人は10分ごとに外と中を交代しながら状況室に報告する。
キム大尉は、「北朝鮮の挑発に備え毎日非常訓練をする」と話した。ひとたび非常体制が発動されれば、洗髪中でも寝ていても30秒以内に自分の警戒位置に行かなくてはならない。南北軍間の心理的競争も相当なものだ。
副中隊長のキム・ミョンファン中尉は、「兵士らは傾斜角70度の400階段を上がるときに一度も休まない」と話す。400階段は北朝鮮軍側に露出されている地域だ。このため北朝鮮軍に弱い姿を見せてはならないという意図だった。北朝鮮軍は射程距離1200メートルの狙撃銃で常に狙っているという。昨年9月に加七峰中隊に来たヤン・スンジン(19)一等兵は、「夜間警戒勤務の後にカップめんを食べジャージのような活動服に着替えてやっと緊張が解ける」と話した。緊張の連続の加七峰中隊は将兵らのストレスを解消するため各種プログラムも設けている。カン・ハンシク21師団長は、「副士官以上の幹部は1カ月に1度外泊を認められ、兵士らは休暇期間を1日延長できる。また古参兵長らが万が一にも新参兵をいじめる可能性をなくすため清浄兵営運動を展開している」と説明した。「日課の中では原則と規律に従うが、日課後は個人主義を徹底して保障する」と21師団の政訓参謀のチョン・ナムチェ少領(少佐)は話す。
加七峰部隊に設置された9台の公衆電話で将兵らは家族とコレクトコールの通話も可能だ。加七峰の水事情と苦しい勤務環境を考慮し、加七峰中隊将校と将兵らの洗濯はすべて師団本部で代わりにしてくれる。加七峰頂上に風力発電機と太陽発電機も設置し、将兵らが暖かく過ごせるよう電源を供給している。ヤン一等兵は、「最初は天候と環境がよくなくつらかった。前方の敵を警戒する甲斐があり、軍人の1%だけが前方哨所で勤務するという自負心も生まれた」と話している。
◆戦術的要衝地の加七峰=金剛山(クムガンサン)一万二千峰のうち唯一韓国側にある最後の峰だ。北側には金日成(キム・イルソン)高地、毛沢東高地、スターリン高地が金剛山に続いている。加七峰の右側の37番道路は分断前は金剛山に向かう近道だった。韓国戦争当時の1951年9~10月には米第2師団など国連軍が北朝鮮軍と中共軍を迎え撃ち高地を占領するため激戦を展開し、数千人の死傷者を出した。当時のメディアは戦闘が心臓が破裂するほど激しかったとし、「断腸の稜線」と呼んだ。加七峰を北朝鮮軍に奪われていれば楊口(ヤング)まで明け渡さねばならない状況だった。
加七峰に向かう道は容易ではなかった。19日に加七峰中隊に行く道で雪が降り、師団では通行禁止令を出した。しかし自動車は雪が積もり滑りやすい3メートル幅の非舗装山岳道路を1時間以上走った。道路の左右両側は険しい断崖だった。冬の加七峰はしばしば雪が降る。常に秒速4~8メートルの強風も伴う。年間を通じて吹く強風で加七峰は冬には氷点下20度、体感温度は氷点下30~50度に下がるのが普通だ。部隊では気温が氷点下20度以下の時は素手で小銃を持たないようにしている。すぐに凍傷になるためだ。
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