1968年、ソウル大教区長着座式の場面 |
金枢機卿は「1970~80年代の激動期を生きる中、進歩だとか左寄りだなど考えたことがない。政治的意図や目的のためにしたことなどはもっとない。貧しい人々、苦しむ人々、そんな弱者と呼ばれる人々の側に立って彼らの尊厳を守りたいと思っただけだ」と回顧した。
金枢機卿は障害者と死刑囚、撤去民や貧民たちに会って彼らの話に耳を傾けた。農民と労働者たちの権益のためにも献身した。87年「都市貧民司牧委員会」を教区諮問機構として設立、疏外された人々を助けるソウル大教区の福祉施設を増やすことにも力を傾けた。
最高の宗教リーダーだったが自らを常に不足だと思ってきた。99年、ソウル大教区長から退いた後、70年を回顧して信仰を告白する本を2冊出版した。『私たちが互いに愛するということ』『あなたたちと皆のために』だ。
これらの散文集には「カトリック最高の聖職者としてイエス・キリストに会いたかったが、それはできなかった」とし「イエス・キリストに近づいた師弟として生きることができなかった」という自分の省察の声を記した。「隣人愛を強調しながらも自ら貧しい人々と一緒に暮らすことができず、考えと言葉と行動を一致させることができなかった」と反省した。
金枢機卿は回顧録で「当時、不本意ながら多くの事件や事態にでくわし、人権社会正義運動の中心にいた」とし「政府の圧力はもちろん、教会で漏れ聞く批判までも1人で受け入れなければならなかった心境を言葉や文では表現しにくい」と打ち明けた。
「あなたたちと皆のために」(Pro Vobis et Pro Multis)金枢機卿の司牧標語だ。宗教家の良心で正しい道を提示してきた金枢機卿は、韓国カトリック教会を代表する宗教リーダーを超えた大韓民国の精神的支えだった。
金寿煥枢機卿善終…「あなたたちと皆のために」(1)
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