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「今日も歩けど行くあてもなく…」で始まる大衆歌謡『旅人の悲しみ』を聞いてみれば、東家食西家宿という言葉が浮かぶ。ご飯は東の家でもらって食べて、眠りは西の家で寝るという意味だと知られている言葉だ。
さすらいの身分でどこででもまともにもらい食いして眠ることができるものかと思うが、気兼ねしない流れ者にもむなしさがあることを感じる成語だ。しかしその原典の意味は全く違う。旅人の気軽さや、臆面もなくあちこち渡り歩く者の行色とも程遠い。
春秋戦国時代の斉の国に1人の女性がいた。年ごろになって嫁に出さなければならないその父親が、負担を減らそうとアイディアを出した。ちょうど隣り合う2つの家に青年2人がいたので、娘をこのうちのどちらかに送ろうというのだ。
問題は東に隣合う家の青年はお金は多いが顔がひどく醜かったという点だ。西の家の青年にも問題があった。どこにも欠点を見つからないほどの顔立ちをしていたが、家はひどく貧しかったというのが気にかかった。
あれこれ頭を働かせた父親は、娘が自ら選択するという方法を思いついた。隣2人の青年を呼び出し、娘が直接彼らを見て決めることにしようという心算だった。その父親はすぐにも2人の青年を呼び、家に来させることにして一席を設けた。娘には東の家の青年が気に入ったら右の袖、西の家の青年がよかったら、左の袖をたくし上げろと言い付けた。
娘は庭に立っていた青年たちを注意深く察したであろう。やがて心を決める瞬間。父親を含めた家族たちは思わず驚いてしまった。娘が右の袖に続けて左の袖までたくし上げたからだ。父親がその理由を尋ねた。「ご飯は東の家で食べて、寝るときは西の家で寝たいです」
話と詩文などを集めた『芸文類聚』という本に出てくる話だ。原則はさしおいて、思い通り自分の都合の良いことだけをする者を皮肉った寓話だ。
自分がすればロマンスで、他人がすれば不倫だと言ったか。全教組と民労総のする行為がまさにこの格好だ。民労総幹部が全教組所属の女性会員にセクハラした事件をめぐり2つの組職はこれを隠すのに汲々としている。
校長が女性教師にコーヒーを入れるようにした件をめぐり、強く抗議した組職が全教組だ。民労総は人権と民主を口にぶら下げて生きるような所だ。スローガンをまず掲げ、原則を崩してしまう行動は、亭主を選ぶ女性の審査にもかからない。雄大な理念に立って2つの組職は道徳心をまずもたなくてはならない。
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