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5日、大田国立文化財研究所内にある保存科学センターは、崇礼門(スンレムン、南大門)の扁額を復元するため熱心に取り組んでいた。ここには赤外線・放射線撮影機だけではなく、コンピューター断層(CT)撮影機まで取り揃えた国内最高権威の文化財病院だ。
復元チームのキム・スングァン学芸研究士(48)は「崇礼門扁額主治医」だ。昨年2月10日午後!1時10分、炎が崇礼門全体に移ってから、鎮火活動をした消防署員が扁額を分離した。この時、ミスで地面に落としたが、扁額の命は取りとめた。ひびが入って水に濡れた扁額はソウル古宮博物館保存科学室に移された。当時扁額は「人工呼吸器をつけた重い患者」だった。
治療1段階は「しわをつけずに乾燥」だった。下手すると懸板が元の姿に戻せなくなるかもしれなかった。湿度と温度を最適の状態に合わせるために復元チームは一睡もせず夜を明かした。そして昨年4月15日、扁額は大田国立文化財研究所に移送されてきた。
2段階治療は分解と洗浄だった。各種特殊撮影の末、扁額は38片で構成されているというのが明らかになった。15世紀に作られた扁額は長い間に何度も補修され、そのたびに新しい時代の木と道具が重ねて使われた。今の扁額には15世紀に伐採された木と1960年代の木が共存している。崇礼門の歴史が扁額にそっくりそのままつけられているのだ。これは炭素の年代と年輪の年代測定で明らかにした事実だ。復元チームは徹底的な治療のために汚染物質をとり除かなければならないと判断し、このために38切れを分解して洗浄することに決めた。
傷を本格的に治療するのが3段階だ。現在、懸板はまさにこの段階に置かれている。「鎮火中に落ちてできた割れ目、朝鮮戦争当時の銃の跡、釘の跡」に、復元チームが几帳面に充填剤を満たした。この作業が終われば治療の最後の段階に進む。本来の形どおりに組立てて、刻字と彩色をしなければならない。キム学芸研究士は「来月の末には完治した扁額が見られるだろう」と話した。
復元チームは1日おいて徹夜作業をした。何ひとつ簡単には進行しなかった。キム学芸研究士は「解体するとき、懸板とわく、裏面の補強板をつなぐ釘をそのまま抜く場合、周辺木材に損傷を与える状況だった。どんな角度と深さなのか確認するためにX線撮影をし、1.5キロに達する200個の工業用くぎを毛抜きで一つ一つとり除いた」と復元の難しさを説明した。
こうして治った扁額は崇礼門が復元されれば元の位置に戻る。「原本は博物館において、万一に備えて複製品をかけよう」という意見があったが、扁額は崇礼門の顔であるだけに、自分の席につかなければならないという結論に至った。
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