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イ・チュピョさんは2人に向けられた冷ややかな視線を思い出す。「幽霊音楽会という話も聞きました。何をしようとしているのか分からなかったからでしょう。そうこうしているうちに、“金儲けのために、音楽会という音楽会を手がけている”という噂も出てきました」--。「いい顔の演奏者を集めて音楽界を作っているが、実力はいまいち」という非難にも耐えなければならなかった。著作権の問題が解決せず、撮影したポスターやパンフレットを全部作り直すはめになった。『のだめカンタービレ』から‘のだめ’を取り、‘カンタービレ ・コンサート’としたのはこのためだ。
◇成功=2007年6月。初コンサートで彼女らは予想外の成功を収めた。完売でクラシック界では珍しい予約者リストを作成した。2008年1月に開催された2度目の音楽会は世宗(セジョン)文化会館の上半期のチケット販売1位を記録した。不況の中、開催された今月4日の公演でも7割以上のチケットを販売した。地方3都市の巡回演奏会も開催した。公演開催のたびに、事前に集まって勉強し、鑑賞評価をする約3000人の固定ファンもこのコンサートの収穫だ。‘2列目のチェロ奏者、イケメン’‘1列目のバイオリン奏者、ヒョリ’のように、若い演奏者を後援する頼もしいファンもいる。
クラシック音楽界を驚かせた2人の経歴も変わっている。イ・セムさんは航空会社の乗務員として勤め、イ・チュピョさんは経営学を学んだ経歴を持つ。大手の公演プロダクションで3年間一緒に仕事をしたが、休息を兼ねて数カ月のあいだ2人は失業者として過ごした。イ・セムさんは「自分は米国ドラマ、チュピョは日本ドラマ・ペイン(廃人、寝ても覚めてもドラマに夢中になっている人)」と紹介した。イ・チュピョさんは「2人で何気なく話していたアイディアがヒットするとは思いもしませんでした」と語った。
不況と酷評にも屈することなく、ヒット作を生み出した2人は3回目の公演を最後に‘カンタービレ・コンサート’の幕を閉じる。「まだ公開できないのですが、もっと驚くアイディアを用意してあるんですよ」--。(イ・チュピョ)次はクラシック音楽界のどのような部分に斬新さを加えていくのだろうか。
‘カンタービレ・コンサート’、何気ないアイディアがヒットするとは...(1)
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