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『聖書』によると、人類最初の殺人者はカインだった。 神が弟のアベルの供物ばかり受け、自分の捧げた供物は無視したため、怒りで弟を殺してしまう。 カインは「アベルはどこにいるのか」と尋ねる神にぬけぬけと嘘までつく。 「私は弟を見守る人ですか」。神の怒りを買ったカインはエデンの東に追われ、ずっとその代価を支払うことになる。
世の中の数多くの罪のうち最も重いのが殺人だ。 罪が重いほど罰も厳しくなるものだ。しかし必ずしもそうでない場合があると、中国春秋戦国時代の思想家・墨子はいう。「一人を殺せばこれを不義と謂い、必ず一死罪あり…十人を殺せば不義を十重し、必ず十死罪あり…しかし他国を攻めるに至りては、即ち非とするを知らず、したがってこれを誉めこれを義と謂う」。 数千・数万人の命を奪っていく「合法的殺人」、まさに戦争に対する批判だ。
パレスチナ武装政派ハマスの根拠地であるガザ地区をイスラエルが侵攻し、民間人犠牲者が続出すると、地球村では反戦世論が激しくなっている。 特にイスラエル軍が子どもの避難所である国連学校まで攻撃したことをめぐり「集団虐殺」という怨声が強まっている。 ハマス隊員が民間人姿で民間人居住地に隠れて攻撃するためやむを得なかった、というのがイスラエル側の抗弁だ。
歴史学者エリック・ホブズボームは著書『暴力の時代』で戦闘員と非戦闘員の区分があいまいになった点を現代戦争の最も大きな特徴に挙げた。 軍事作戦は戦闘員の間で行われ、民間人はできるだけ保護しなければならないという「ハーグ条約」は死文化して久しい。 このため第一次世界大戦当時の全体死者の5%にすぎなかった民間人犠牲者の比率が第2次世界大戦では66%にもなった。最近のイスラエル-ハマス間の戦争でも死者の40%以上が子どもと女性だという。
どんなに戦争を合法的な殺人と認めたとしても、これは軍人対軍人に限った話だ。 一方は民間人を「人間盾」と、もう一方は民間人を「潜在的な敵」と見なして繰り広げるこの戦争は義に反している。しかし国際社会の叫び声にもかかわらず、双方は銃を置こうとしない。 「カインの後裔」という烙印を恐れもしないのだろうか。
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