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【噴水台】ある牛公の手紙



私たちは生涯、愚直に働いて暮らせという業報を持って生まれた族属です。 それで人間の世界で起こるすべてのことを無関心に眺めています。 黙々と与えられたことをすること、それが私たちの天性であり美徳です。なのになぜ今日は差し出がましく出てきたのかって? 最近の世の中の姿があまりにももどかしいからです。 昨年は特にそうでした。 海の向こうの私たちの同族の問題で一度大騒ぎになりましたね。 純粋な私たちに「狂」の字を烙印し、下手に食べれば脳に穴がボコボコと開くなどという怪談が広まり、腹立たしく感じました。 結局、科学的な真実とはほど遠いことが確認されました。

今度は経済危機という津波が押し寄せ、株価指数が秋風に散った落ち葉のようになりました。 彫刻像になって世界各地の証券取引所の前を守っている同僚がみんな面目なさそうにしていました。 これはみんな人間の貪欲のためです。 危機を克服するといって新年劈頭から「速度戦」という殺伐とした言葉が流行するのを見ると、世の中はもっと混乱する雰囲気です。


速度がすべてではありません。 私たち牛氏の家門に昔から伝えられている話にこういうものがあります。 朝鮮(チョソン)世宗(セジョン)の時、有名な宰相だった孟思誠が郷里の忠清道温陽(チュンチョンド・オンヤン)に行くことがありました。 郡長は遠く長湖院まで迎えに行ったといいます。 印象良くしようという考えだったのでしょう。 ところが、待っていた宰相は現れず、みずぼらしい身なりの高齢者が牛に乗って近づいてきました。 郡長から雷が落ちました。 「無礼にも上官の前を通り過ぎるのに牛から降りないのか」。後に分かりましたが、その老人が孟思誠でした。 馬と輿を動員した政丞のお出ましを嫌って悠々自適に牛に乗ってきたのです。 孟思誠の師の権近は「牛に乗るのはゆっくり行こうとするためだ」と話しました。 朝鮮ソンビの騎牛行は最近流行している「のろさの美学」です。そうしてこそ世上万事を逃さず味わうことができるということです。

己丑年の新年のあいさつで、各界の指導者が先を争って私たち族属に関する四字成語を引用していました。 石田耕牛、牛歩千里、虎視牛歩…。 すべていい言葉です。 ところが一つはっきりさせなければなりません。 口だけではいけないということです。重要なのは実践です。 普段から黙って見守っているだけの私は、あまりにももどかしくて声を一度高めてみました。 新年、良い年になりますように。 モ~。



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