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<新年インタビュー>イ・ジュンギ(1)「同い年のピは刺激剤」



「女性よりきれいな男」シンドロームで強い印象を残したイ・ジュンギ。2009年を迎え、ISと新年インタビューを行ったイ・ジュンギは「20代の俳優時代をしめくくる気持ち」とし「今年の下半期に軍入隊する予定だから、悔いが残らないよう2009年を締めくくりたい。皆さんも充実した1年送ってほしい」と述べた。

◆「コンギル」の」壁を越えるまで


2008年がイ・ジュンギにとって意味深い理由は『一枝梅』(イルジメ)の成功のみならず、ソ・テジとのサプライズな出会いもある。ソ・テジに憧れて踊りとラップにのめりこんでいた小学生イ・ジュンギが2008年8月「ソ・テジカムバックショー」の進行役となってアイドルと単独対面する一生一代の事件が起こったのだ。

「テジさんがイ・ジュンギを知っていること自体がとにかく不思議だった。アイドルの前でまた純粋な1人のファンに戻ることができたし、私も俳優の夢を育てる人々に失望感を抱かせないためにもっと努力しなくちゃいけないと心に決めた」

『一枝梅』は女性のみならず男性と中壮年層までイ・ジュンギを心に焼き付けた作品となったので、社会的な責任感も改めて感じたと語った。

「一度は『 一枝梅』終了後、サイパンで休暇をとったが、そこで韓国の家族連れの観光客たちに会った。5、6歳の男の子たちが『ジュンギさん、サインしてください』というので名前を書こうとしたら『横に一枝梅って書いてください』って言うんです」

「イ・ジュンギ= 一枝梅」になっていたのだ。幼いころ『パワーレンジャー』が好きだった自分の姿が浮かんだ。

四川省の大地震のときのイ・ジュンギは、ファンクラブとともに難民助け合い募金運動を行い、年末には外国人労働者の家庭の子供たちを助けるのに寄付1億ウォンを贈った。

「アジアファンが私の名前で先に寄付運動を始めた。大事なものを忘れて暮らしていたが、胸の一方がちくりと痛んだ。アジアファンの愛を合作活動や交流で報いようと誓った」。彼のミニホームページは外国のファンを含み1日3000人以上が訪問する。20歳のとき30万ウォンを手にして単身上京し、屋上部屋を転々とした時代とは雲泥の差だ。「これまで、新村(シンチョン)を通ることがあったが、窓の外に20歳のときに住んでいたビアホールが見えた。当時アルバイトで時給2500ウォンをもらいながらサービングをし、夜にはビール倉庫で雑魚寝をした。後で近くの屋上部屋に引越したが、そこも夏はゴキブリが出るし、冬は水道管がかちかちに凍って洗面もできなかった日が多かった。そのままだったのを見て“あのときは本当に役者をやりたくて夢中だった”と思った」

一時、悪意の書き込みや一発屋などと言われて少なくないストレスも受けた。

「人々が言う一発屋というイメージを早く消して、演技だけで完全に評価を受けたかった。でも人気というものが私を訪ねて来てくれたのなら、人気のある時にしかできないことをしてみようと肯定的な気持ちで気を引き締めた」

最大の力になってくれたのはやはりファンだった。

「『王の男』以後、数億ウォンを出すから女性に扮した男や、学園ものをという提案が来た。あせらずに待てたのはまさに私を信じて待ってくれたファンがいたからだった」

同い年のトップスターであるピ(Rain)も最近、イ・ジュンギにとって良い刺激剤になったと語る。

「ある芸能番組でピの苦労談と成功記を見た。今も十分なトップスターなのに、ハリウッドに進出して新人の覚悟で自分にむち打っている姿が非常に印象的だった。心から何かを狂ったように求めれば、その心は必ず伝わるものと決まっているようだ」

インタビュー(2)は1月2日に掲載します。



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