万景峰号で張雄(チャン・ウン)委員(後列左から2人目)、北朝鮮応援団と一緒に記念撮影 |
2002年ワールドカップ(W杯)4強に興奮した韓国国民は3カ月後、北朝鮮の‘美女応援団’に熱狂した。 2002年9月29日に開幕した釜山(プサン)アジア競技大会に、北朝鮮の選手団とともに応援団が来た。 北朝鮮選手団が韓国で開催された総合大会に出場したのは分断後初めてだった。 南北首脳会談とシドニー五輪の同時入場で近づいた南北が見せたもう一つの事件だった。 北朝鮮の参加で釜山アジア競技大会はアジア五輪評議会(OCA)に所属した44カ国がすべて参加した最初の大会として記録された。
釜山アジア競技大会組織委員長と大韓体育会長から退いた立場だったため、主導的に関与することはできなかったが、国際オリンピック委員会(IOC)委員と国際スポーツ団体総連合(GAISF)会長としてアジア競技大会を見守った。 釜山アジア競技大会は1994年の広島大会に続き、首都ではなく地方都市で開かれた2番目のアジア競技大会だったが、7年間にわたり緻密に準備した結果、最も成功した大会と評価された。
北朝鮮は大規模な選手団のほか、女性だけで構成した応援団を派遣し、大会期間終始、観衆とマスコミの注目を受け、話題になった。 応援団を乗せて来た万景峰(マンギョンボン)号は多大浦(タデポ)項に寄港し、宿舎としても使われた。 ソウル五輪当時、ソ連選手団が仁川港に停泊した船を宿舎に使ったのと似ていた。 在日同胞北送船として知られる万景峰号が国内に入ったこと自体もニュースだったが、北朝鮮選手団が万景峰号内部を開放したのも話題になった。
張雄(チャン・ウン)IOC委員も韓国を初めて訪れた。 私は張雄委員とパク・ミョンチョル北朝鮮五輪委員長と釜山で会い、質素な夕食会を開いた。 その場で南北体育交流について意見を交わしたが、北側の支援要請を大韓オリンピック委員会(KOC)が受け入れることはできなかった。 自転車が欲しいと言うので国民体育振興公団に残っていたサイクルを与えようとしたが、北側が「競技用のサイクルは自分たちにもある」と断り、不発に終わった。
張委員の招待で万景峰号に乗る機会を得た。 北朝鮮応援団とともに夕食を取ったが、万景峰号は1隻ではなく3-4隻あるということも当時初めて知った。 韓国メディアが連日、特筆大書した北朝鮮応援団の人気は予想以上だった。 北朝鮮役員も驚いたようだ。 当初やや硬かった表情は2、3日でほぐれ、後には予定にもなかった路上公演を行って楽しませてくれた。 北朝鮮の技芸団や吹奏楽弾の実力は世界最上位級だ。 特別に選抜された200人余りが同じ服装と同じ化粧をして応援をするため、関心が注がれるのは当然だった。
大会の結果、1位は中国(金150・銀84・銅74)、2位は韓国(金96・銀80・銅84)、3位は日本(金44・銀73・銅72)で、北朝鮮は金9・銀11・銅13の9位だった。
ほとんどすべてが良かったが、不満だった点はアマドOCA会長が閉幕前に帰国したことと、ジャック・ロゲIOC委員長がルヒモフOCA副会長より下の席に座っていたことだ。
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