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【噴水台】徐福



古代史の謎の中の一つが徐福の行跡だ。 徐福は不老草を採って来いという秦始皇の命令を受けて3000人の童男童女を率いて海を渡り、東へ向かった人物だ。 しかし具体的な行先地は明らかでない。 『士気』には三神山へ向かった徐福が平野と広い湿地(平原広沢)があるところに定着したという記録だけが出ている。

韓国では徐福が済州道(チェジュド)に来たと伝えられている。 西帰浦(ソグィポ)正房(ジョンバン)滝の絶壁に「徐福がここを通った」(徐市過此)という文字が刻まれていたという記録がその根拠だ。 徐市は徐福の別名だ。 西帰浦という地名も、徐福が正房滝まで来て西の方へ戻ったということに由来しているという主張もある。 済州道当局はここに2003年、徐福展示館を設立し、徐福公園を造成した。


日本の和歌山県には徐福の墓碑が建てられている。 徐福が「天台烏薬」という薬用植物を発見して定着し、ここで生涯を終えたという伝説が、この地域に伝えられている。 この植物は1978年と82年に日本を訪問した当時の鄧小平副首相と趙紫陽首相に贈り物として伝えられた。 秦始皇に伝えられなかった不老草を2000年が過ぎたた今伝える、という説明をしながらだ。

徐福の行先地は明らかでないが、一つ確実なことは、韓国と日本の地方のあちこちで伝えられている徐福伝説が古代東アジアの文化交流と伝播を象徴している点だ。 徐福一行には各分野の技術者(百工)が含まれていて、五穀の種を携帯していたという記録が出てくる。 徐福を韓中交流の原点とする見方や日本に稲作文化を伝えた主人公という解釈が出てくるのは、こうした理由からだ。

先週、西帰浦徐福公園で、温家宝中国首相の直筆文字が刻まれた石碑の除幕式があった。 温首相の文字を見ながらふと思った。さる13日に福岡でスタートした韓中日3カ国首脳会談を韓国で開催する順番になれば、西帰浦を会談場所にするのがよいと。 徐福を媒介に3カ国間の綿々たる交流の歴史を再確認して会談に臨めば、今日の些細な葛藤ぐらいはすぐに解決するのではないだろうか。 徐福が探し求めていた不老草の代わりに済州道の山麓で裁培した雪緑茶を添えれば、それこそ錦上添花になるはずだ。



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