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「6カ国協議の枠組み活用し、核解決策見出すべき」(1)



米国の代表的な「親韓派」で通じるジェームス・レイニー元駐韓米国大使は「韓国が私の人生を変えた」と考える。第二次世界大戦が終わった後、米軍の情報将校として韓国への一歩を踏み出した同氏は韓国現代史の荒波を見守った。同氏が駐韓米国大使を務めていた90年代は、1回目の北核危機から金日成(キム・イルソン)北朝鮮主席の死去に至るまで、大きな事件が相次いで起きた時期だった。北朝鮮の核問題を話し合う6カ国協議がスタートする前の03年初め、南北(韓国・北朝鮮)と4の超大国が加わる協議モデルを提案したのも同氏だ。李洪九(イ・ホング)元国務総理をはじめ、韓国内での人脈も豊富だ。金大中(キム・デジュン)平和センターが16日に開催した「韓半島和平に向けた大講演会」出席のために訪韓した同氏と会った。

次は一問一答をまとめたもの。


--韓国との縁が非常に深いが。

「元々エール大で経済学を専攻し、軍服務を終えた後はウォール街へ向かい、金融界で働くつもりでいた。だが46年に情報将校として韓国入りした後、考えを変えた。独立後、韓国は何も残っていない廃虚だった。(窓の外のソウル中心部を指して)韓国がこのように成長したのは魔法も同然だ。韓国人特有の強靭(きょうじん)さで、絶望を希望に変えた。厳しい状況に追い込まれてもユーモアセンスを失わないのも印象的だ。現在も世界経済危機で厳しいが、韓国人は結局乗り越えられると信じている。とにかく私は軍服務を終えた後、米国に戻り、哲学と神学に人生の航路を変えた。韓国に帰ってくるためだった。結局59年にソウルに戻り、64年まで学生を教えながら、4.19(60年4月19日にピークを迎えた学生らによる一連の反政府デモ)と5.16(61年5月16日に当時の朴正熙少将が主導した軍事クーデター)のような歴史の現場を目撃した。国家の再建を語り、目を輝かせていた学生らの姿を忘れられない」。



「6カ国協議の枠組み活用し、核解決策見出すべき」(1)

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