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英国ロンドンの首相官邸と国会議事堂の間には地下観光名所が一つある。 1940年代序盤に保守党出身のウィンストン・チャーチル首相が設置した戦争状況室だ。 地下深く薄暗い廊下を通れば、狭苦しい会議室が出てくる。 ここに入れば座席の配置がまず目を引く。 チャーチルのすぐ隣には労働党党首のクレメント・アトリーが座った。 チャーチルは戦争が始まると、最大政敵のアトリーを副首相兼内務相に引き込んだ。 会議で2人の意見が一致すれば直ちに最高作戦命令になった。 ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーよりも速くて効率的だった。 野党が反発すれば、アトリーが議事堂に駆けつけて所属議員を鎮静させた。 チャーチルは会議の度に統計省の職員を呼び、ありのままの戦況も公開した。 英国軍の連戦連敗の知らせはむしろ英国人を団結させた。 チャーチルとアトリーは手を取り合い、民心をつかむのに成功した。
62年のキューバ事態当時の米軍戦争状況室。 ロバート・マクナマラ国防長官は合同参謀議長を通して報告を受けてきた慣行を完全に無視した。 一日中ウォールームに座って米軍艦の位置まで一つひとつ指示した。終盤にはジョン・F・ケネディ大統領がソ連潜水艦と対立した駆逐艦長を呼び出し、直接武力使用の自制を命令した。 ケネディとマクナマラは高位将星がそれとなく戦争を望んでいる気配を感じ取り、直接状況を掌握した。 結局、キューバ危機は戦争を避けた。だからといってケネディがすべてのことに干渉したわけではない。 ケネディは重要会議では速やかにウォールームの外へ出て行った。 自分のために作戦参謀が自由な意見陳述に負担を感じるのではと思って、意図的に席を空けたのだ。
政府が「青瓦台(チョンワデ、大統領府)西別館会議」(マクロ経済政策協議会)を「ウォールーム」(国家総合状況室)に格上げするという。 経済首長を一席に集めてワンストップで経済危機克服対策を決定するという意味だ。 しかし最も模範的なチャーチルとケネディのウォールームと比較すると何か寂しい。 大統領1人が忙しいだけで、実務を掌握する韓国版マクナマラは見えない。 昨日、青瓦台(チョンワデ、大統領府)に行ってきたハンナラ党代表は「今の問題は速度だ。 疾風怒涛のように押し寄せて(…)すべての国土が巨大な工事現場のように感じられなければならない」と述べた。 間違った話ではないが、聞きづらい。 こういうメッセージが度々流れると困る。 今は民心の結集が戦争の分岐点だ。 チャーチルのように、ウォールームの大統領の隣にまず招請する人物は丁世均(チョン・セギュン)民主党代表や朴槿恵(パク・クネ)元ハンナラ党代表ではないだろうか。
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