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線と連続性は近代資本主義の支配的イメージだ。 その代表的なものが鉄道だ。 真っすぐ進む列車は山を崩し、川に橋を架けるなど、自然を改造させながら突進の欲望を貫徹した。 列車の登場と同時に速度・抽象など思考体系にも変化が生じた。
『眼の冒険』の松田行正は「自然界にはほとんどない直線の性質を持った鉄道は人工性を強調するもので、ここから線の歴史が始まった」と書いた。
列車の車両は映画フィルムの1カットと似ている。 鉄道のレールと枕木は、フィルムとその横の穴を連想させる。 映画カメラには銃に対する隠喩も隠れている。 撮影する時に「ショット」と言ったり、フィルムケースをいう「マガジン」は弾倉を意味する。 タイプライターも線と連続を打ち出す機械だ。 キーボード(引き金)をたたけば字(弾丸)が連続して跳び出してくる。
松田行正は「(近代の発明品の)鉄道、映画、タイプライター、ミシン、芝刈り機、コンベアベルトシステムの食肉処理場はすべて‘ライン’という考えを中心に置くことで連続性を得ることができた。 その中でも最も代表的なラインはフォード主義」と書いた。
フォード主義は米国の自動車王ヘンリー・フォードが考案した生産方式だ。 車1台の組立工程を単純労働に細分し、コンベアベルトシステムで組み立てられる部品が労働者1人にとどまる時間を最小化した。 生産の効率化、高賃金、業務時間の短縮など画期的な変化をもたらした。 左派経済学者らは労働者の疎外を憂慮したが、大量生産-大量消費につながり、戦後30年間の資本主義の豊饒を満喫した西欧の支配的蓄積構造になった。 1970-80年代の経済危機当時に寿命を終え、グローバル化・情報化・脱産業化・脱国家化を反映する「ポストフォード主義」が登場した。
最近、全世界的な金融危機の中でフォード社など米国の巨大自動車会社が揺れている。 無限競争に駆け上がった新自由主義に対する反省の声も高まっている。 ずっと以前にフォード主義に対して最も絶望的な憂慮を示していたチャーリー・チャップリンの映画「モダンタイムズ」(1936)を思い出す。 コンベヤーベルトでねじを締めていたチャップリンが歯車の中に吸い込まれる場面が映画的な誇張だとしても、常に資本主義に必要なのは人間の顔という命題も同時に考えさせられる。
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