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1418年に世子の地位から外れた譲寧大君は、その後も時々朝廷で話題を呼んだ。 豪放な性格の彼が見せる大胆な行動が理由だった。 1420年の冬に出された上疏文に彼の行動はこのように書かれていた。
「酒を飲んで弓を放ち、漁猟をし、博奕を楽しんだりしている」 政治や人事などの問題を提起する司諌院の正式情報提供だ。
この上疏文が指摘した博奕という行為は何か。 国史編纂委員会の『朝鮮王朝実録』翻訳本ではこれが「囲碁と将棋」となっているが、妥当性は落ちる。 実録の他の部分で将棋や囲碁をいう場合、総じて「碁」という字を使っているからだ。 また司諌院が譲寧の過ちを指摘しながら、文士の趣味生活だった囲碁と将棋をその範ちゅうに含めるというのは理解できない。
博奕とは純賭博に近い行為だ。 中国文献の内容を見ると、木の棒6本を投げて12個の駒で勝負を決める賭博と解釈される。 自分の知能や判断力で勝負をする囲碁や将棋よりも、タイミングよく出るか分からない運に頼って勝敗を決める。 いわば僥倖でも願うような賭博の一種だ。
人を欺くための悪い計略が勝利のためにはすべて正当化される賭博場への加担が、過去の東洋知識社会の徳目になることはなかったはずだ。 譲寧がたとえ世子の地位から外れたとはいえ、王の息子には違いない。 賭博場をのぞいたところ、司諌院の監視にちょうど引っかかったのだ。
最近、賭博が大きな話題だ。 野球選手がそろってサイバー賭博をし、サッカー選手は中国賭博会社に巻き込まれ、八百長試合をしたという。 世論の非難を免れるのは難しいが、よく考えてみると彼らだけを責めることはできない。
それよりも韓国社会の賭博ブームがもっと激しい。 ロトや海物語にいつもポケットを開くのが韓国社会の日常的な風景だ。 「いかさま師」という映画がヒットすると、テレビドラマでも堂々と登場する。 すべて僥倖にかける韓国社会の姿だ。
最近迎えたこの危機もただ僥倖で切り抜けようという考えであれば心配だと思い、取り上げてみた『朝鮮王朝実録』の一部だ。 昔から「高い知恵は危機の時に僥倖を期待しない」(上智不処危以僥倖)というが…。
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