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大衆音楽に対する検閲と統制は日本による植民地時代に遡る。 日本は1909年の出版法以後、歌謡本、音楽公演、レコード、賛美歌までも統制した。 解放後には越北作家の歌に禁止曲レッテルが貼られた。 検閲を制度的に整備したのは朴正煕(パク・ジョンヒ)政府だった。 放送審議とレコード事前審議を並行した。 65年に韓国放送倫理委員会、66年に韓国芸術文化倫理委員会、76年に芸術委の後身である韓国公演倫理委員会が誕生した。 思想不穏、退廃、倭色などの理由で多くの禁止曲が出た。 75年の緊急措置9号直後に222曲が禁止曲になった。
これらの曲の解禁事態は87年の民主化が契機だった。 文化公報部はその年、国内禁止曲186曲を解禁した。 翌年には一部の越北音楽家の作品にも光が差した。 追加の解禁措置は90年代初めまで続いた。
90年に鄭泰春(チョン・テチュン)のレコード「ああ!大韓民国」をきっかけに、事前審議自体に対する違憲論争が激しくなった。 若者たちの‘文化大統領’ソテジワアイドゥルがこれに油を注いだ。 社会批判的な歌詞の歌「時代遺憾」が審議で引っかかると、歌詞のない演奏曲をレコードに収録して抵抗したのだ。
ついに憲法裁判所は表現の自由に軍配を上げた。 96年7月、公演倫理委員会のレコード事前審議制度が歴史の中に消えた。 それ以後、放送禁止については各放送局が発売されたレコードの事後審議で自律的に決定した。 97年の青少年保護法(青保法)制定後には青少年保護委員会(青保委)が青少年の情緒に有害なレコードに対する事後審議を担当することになった。
2006年には海外レコード輸入推薦までも廃止された。 映像物等級委員会の輸入推薦が事前検閲に該当するとし、違憲判定を受けたのだ。 輸入レコードの事後管理も青保委に移った。
最近ピ(RAIN)の「RAINISM」、東方神起(トンバンシンギ)の「MIROTIC」などに対して青少年有害物判定を下した「青保委」が連日、俎上に載せられている。 今年6月に保健福祉家族部の傘下で新しく発足した機構だ。 判定の実効性だけでなく、一部、時代錯誤的で恣意的な審議基準が批判を受けた。 青保法上の「青少年有害物・媒体・環境」には、麻薬や幻覚物質、有害業者への出入りと雇用、青少年虐待などが含まれる。
果たして「愛は何だ、何だ、もう修飾語レッドオーシャン…アイ・ガット・ユー・アンダー・マイ・スキン(I got you under my skin)」のような歌詞(「MIROTIC」)がこれらと同格だと本物に考えているのか委員らに尋ねたい。
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