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「‘胸を閉じるように’。リレハイ博士が話した。 彼は私とレフリー博士を残したまま手術室を離れた。 数時間前まで生きて笑っていて、手術さえ終われば他の子どもたちと走り回って遊べると確信していた子どもは、手術台の上で死を迎えた。 完全に自分のミスだった。 私は、頭の上のドームで茫然自失している子どもの父の視線のもとで胸を縫う作業を終えた。 視線を上に向けることができなかった。 上を見ていれば続けることができなかったはず…」1967年12月3日、世界で初めて人の心臓移植に成功した南アフリカの医師クリスチャン・バーナード(胸部外科)博士の著書『One life』の一部だ。
ここに登場する米国のウォルトン・リレハイ博士は開心術の「元祖」であり、バーナード博士はかつて彼の手術補助医として働いた。
医学のさまざまな分野の中で胸部外科ほどの「ドラマ」はない。 生命を生かせば医師としての喜悦・やり甲斐を全身で感じる。 結果が悪ければ途方もないストレス・挫折感に苦しむ。 患者とともに医師も天国と地獄を行き来する。 テレビ医療ドラマ「ニューハート」「外科医ボン・ダルヒ」「白い巨頭」(日本版)の主人公がすべて胸部外科医師役を演じたのは極と極が共存するからだ。
胸部外科医師は心臓・肺・食道を主に扱う。 扱う病気は狭心症・心筋梗塞・肺がん・食道がんなどだ。 手術室・重患者室のように病院で緊張度が最も高いところが活動空間だ。 故意に患者の心臓を止めた後、また動かすという‘危険な’手術も行われる。
西欧式の食事のためか、心臓病患者は毎年増えている。 肺がんは国内で死亡率1位のがんになって久しい。 こういう時期に胸部外科が不吉な場所となる。 「苦労は死ぬほどするが、開業もできず、お金にもならない」仕事にベッティングする医師などほとんどいないからだ。 最近受付が終わった来年度のレジデント募集で胸部外科(76人募集)には18人が志願した。 最下位だ。 ソウル大病院など国内4大病院も定員に満たなかった。 宋明根(ソン・ミョングン)というスター心臓専門医がいる建国(コングク)大学病院にも志願はなかった。 胸部外科医師は「自分がしなければ誰が助けるのか」という歌の歌詞を笑い話のようによく口ずさむ。しかし充員されず業務がさらに過重になれば、こうした自負心や余裕も抱けなくなるはずだ。 限界に達すれば医療後進国から来た医師に胸を任せることになるかもしれない。胸部外科復活に向けた格別の対策が切実だ。
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