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「朝鮮通信使のような‘民際交流’で韓日関係深めるべき」(2)

--韓日古代史に対する日本社会の認識はどうか。

「70年代初めに司馬遼太郎(1923~1996)、在日韓国人作家の金達寿(キム・ダルス、1919~1997)さんらとともに‘日本の中の朝鮮(チョソン)文化’というテーマで、古代史に関連した数冊の本を出版した。当時、我々の立場は、日本の学界でも極めて少数派に属していた。しかしその後、多くの研究者が韓日関係史を研究した。特に72年、高松塚古墳(奈良県高市郡明日香村・国営飛鳥歴史公園内)の発掘によって、日本古代史に及ぼした韓半島の影響が実証された。この30年間、日本人の相当数がこれを常識として受けとめるようになった」。

--日本では70年代の自由な雰囲気とは異なって、最近むしろ右傾化した民族主義的な見解が勢力を伸ばしているようだが。


「若年層が歴史をきちんと勉強しなかったため、多くの問題が生じた。2000年にわたる両国交流の歴史を長期的に考えねばならない。独島(トクト、日本名:竹島)領有権問題は日本が教科書に記述すべき事項ではないと考える。韓国への配慮がない決定だった。右翼の歴史観に反対する諸市民団体の方が多いという点を知ってほしい」。

--国家間の公式な関係である「国際」の前提として「民際」を提案したが。

「韓日関係を、民間交流を通じ解いていく知恵が必要だ。‘民際’という言葉は私が主張し続けてきた用語だ。‘国際’とは、国家中心の外交関係と言える。国益が優先視されざるを得ない。しかし‘国際’を充実したものにするためには、民間レベルの文化交流が必要となってくる。朝鮮通信使の外交で存在した‘民際’が良い事例だ。12回にわたる交流のうち、7回目の時点から日本の民衆が活発に通信使と接しはじめた。当時に習った朝鮮の踊りが‘唐人おどり’という名で、岡山県の文化財として現在まで受け継がれている。当時、幕府や各藩では民衆が朝鮮通信使と交流するのを禁じる布告文まで出したが、民衆は歓迎の波に加わった」。



「朝鮮通信使のような‘民際交流’で韓日関係深めるべき」(1)

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