|
開城(ケソン)は首都圏からアクセスしやすく、史跡が多いことからこれまで観光客の人気を集めてきた。昨年12月5日から今年11月23日まで10万9540人が開城を訪れた。今年7月に発生した金剛山(クムガンサン)での観光客射殺事件の前まで、観光客数は増える傾向だった。
しかし北朝鮮による開城観光中断通告で来月の観光を予約していた4200人余りの観光客は開城の地を踏むことができなくなった。北朝鮮観光事業を主管してきた現代峨山(ヒョンデアサン)は顧客本人が予約をキャンセルしなくても一括でキャンセルして払い戻しを行う予定だ。ただ25日から30日までの予約1800人余りについては本人が希望すればそのまま観光を実施することにした。現代峨山関係者は、「とりあえず今月末までは観光に支障はない限り開城観光は通常通りに運営する。北朝鮮側の措置は予約した観光客に個別に通知する」と述べた。
現代峨山は北朝鮮側の今回の措置で、年末までに約8億ウォンの損失が出ると予想する。同社は開城観光の代価として観光客から1人当たり100ドルを北朝鮮に支払っているが、観光料金が18万ウォン程度にすぎないことから、観光客を送り出すほど赤字となる。このため観光中断による影響はそれほど大きくはない。さらに協力会社の被害もほとんどないものとみられる。開城観光はまだ宿泊が不可能で、韓国側協力企業は食堂などを運営せず北朝鮮側が担当しているためだ。これに比べ開城への観光客を輸送する観光バス会社はある程度の影響がは避けられそうにない状況だ。
例え北朝鮮側の措置による損失額が大きくないといっても、北朝鮮観光事業の全面中断は現代峨山の存立基盤を揺るがしている。北朝鮮観光事業は現代グループの鄭周永(チョン・ジュヨン)名誉会長(故人)の生涯の夢だった。鄭名誉会長は1989年1月に北朝鮮を訪問し、北朝鮮側と金剛山観光議定書を締結した。しかしその後の南北関係の冷え込みと、金泳三(キム・ヨンサム)政権下での現代グループに対するさまざまな制裁措置により北朝鮮観光事業は一時息を潜めていた。そして金大中(キム・デジュン)政権発足に合わせ98年に鄭名誉会長が牛を引き連れ訪朝したことで再度活気を取り戻した。同年11月18日には遊覧船の金剛号が束草(ソクチョ)港から金剛山に向け出航し、最初の金剛山観光が実現した。金剛山観光は2003年から陸路による観光ルートが開かれ、2004年からは陸路でだけ行われている。今年3月からは自家用車を利用した観光も可能になった。
現代峨山は設立初期に一時赤字を出したが、2005年以降は3年連続で黒字を計上している。事業基盤が根付いたとみられるや、金剛山毘盧峰(ピロボン)と白頭山(ペクトゥサン)直行便での観光など事業領域を拡大する計画だったが、南北関係の冷え込みでむしろ既存の事業すらたたまなくてはならない状況となっている。
同社関係者は、「開城観光中断は政治的問題で、事業者はいかなる措置も取ることができずもどかしい」と心情を吐露している。
この記事を読んで…