1976年7月27日、東京地検特捜部の松田昇検事と捜査官が田中角栄元首相を自宅で逮捕した。 同年2月、米上院外交委員会がロッキード社の賄賂スキャンダルを調査する過程で、日本政府に巨額の賄賂を渡したことが明らかになってから5カ月後のことだった。 逮捕当時、田中は首相から退いていたが、「コンピュータ付きブルドーザー」「庶民宰相」などと呼ばれながら、自民党最大派閥の首長として政界を号令してきた最高の実力者だった。 検察は8月16日、ロッキード社から5億円を受け取った容疑で起訴した。 裁判で田中は無罪を主張したが、1983年に東京地裁で懲役4年、追徴金5億円の実刑が宣告された。 結局、田中の死後、最終的に有罪判決が確定した。
しかしこうした中でも自民党の一党支配体制はそのまま維持され、自民党内の田中派閥はむしろ増加の一途をたどり、結束力も強化された。 その結果、日本検察の特別捜査はかなりの沈滞期を経験した。
しかしこうした中でも自民党の一党支配体制はそのまま維持され、自民党内の田中派閥はむしろ増加の一途をたどり、結束力も強化された。 その結果、日本検察の特別捜査はかなりの沈滞期を経験した。
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