王朝が変わっても最後まで草野に埋もれて忠節を守った高麗(コリョ)末の臣下3人をいう言葉が三隠だ。 牧隠・李穡、圃隠・鄭夢周、冶隠・吉再。 3人とも隠れるという意味の「隠」という字の前に、獣を飼うという「牧」、野菜畑の「圃」、性情を磨くという「冶」という字を付けた。 時には陶隠・李崇仁(イ・スンイン)を含めることもある。 隠れるということは逃避的性向と理解されるかもしれないが、実際は世俗の名利を離れて自由奔放へ進む道だ。 煩悩と疑惑をなくし、欲望のくびきから解かれた自由人の境界をいう。
しかし隠れる行為にも程度の差がある。 東洋ではその行為の大小を区別した。 「小さくは草野に隠れることで、大きくは市井に体を隠すこと」(小隠隠于野、大隠隠于市)といった。 別の版本では大きく隠れることと中間値を区別し、「適切には市井に体を隠すこと、大きくは官位の地位に隠れること」(中隠隠于市、大隠隠于朝)としている。
しかし隠れる行為にも程度の差がある。 東洋ではその行為の大小を区別した。 「小さくは草野に隠れることで、大きくは市井に体を隠すこと」(小隠隠于野、大隠隠于市)といった。 別の版本では大きく隠れることと中間値を区別し、「適切には市井に体を隠すこと、大きくは官位の地位に隠れること」(中隠隠于市、大隠隠于朝)としている。
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