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韓国戦争(1950-1953)当時、連合軍が対北朝鮮心理戦で使用した主な武器はビラだった。 「紙爆弾」「心理戦の歩兵」「聞こえない銃声」と呼ばれた。 ペース米陸軍長官は「敵をビラで埋めてしまえ」という命令を出すほどだった。
実際、戦争勃発3日後の1950年6月28日、米軍はなんと1100余万枚のビラを航空機からばらまいた。 韓国軍を督励し、住民を安心させるための内部用だった。
北朝鮮軍には7月17日に80万枚が初めてまかれた。 連合軍が休戦までにばらまいたビラは660余種類・25億枚にのぼると推算される。 ほとんどハガキのサイズだったため、韓半島全体を20回覆うことができる分量だ。
人気ビラもあった。 捕虜になった兵士の大部分と共産党の下級幹部までが「万一のために」所持した。 題目は「安全保障証明書」と「SAFE CONDUCT PASS」。 内容は「生きたいなら今越えてきなさい。 下の英文は、マッカーサー将軍がすべての国際連合軍と韓国軍は北朝鮮軍捕虜に対して良い待遇をしろと言った命令です」
北朝鮮測もいわゆる「敵軍瓦解工作」の一環として戦争中、367種類・3億枚をばらまいた。
双方のビラは共通して「亡命すれば寒さと空腹から免れ、故郷に帰ることができる」という内容が多かった(金永煕氏の論文『韓国戦争期間のビラの説得コミュニケーション』)。
こうした心理戦の効果を測定するのは難しい。 ただ、一般原則はある。 第2次世界大戦当時、米戦略情報局に勤めた心理戦専門家ダニエル・ラナーが提示したものだ。 彼は心理戦作戦を▽事実を伝える白色▽一部を偏見で歪曲する灰色▽欺くための黒色--の3つに分類した。
彼は「心理戦は説得であり、これには信頼という条件が必要になる。 したがって長期的に効果があるのは白色しかない」と断定した。
国内民間団体の対北朝鮮ビラ散布が南北関係に障害になっている。 ビラを禁止する適切な法規定がないというのが政府の悩みだ。北朝鮮は開城(ケソン)工業団地事業と開城(ケソン)観光の中断の可能性にまで触れて強硬に反発している。 北朝鮮の鋭敏な反応はビラの内容が概して事実、すなわち白色に該当するためではないかと思う。 しかし民間団体は自制するのが正しい。
韓半島情勢に大きな影響を与える行動は、結果に責任を負える国家と政府の役割ではないだろうか。
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